吉増剛造 on 白倉敬彦

吉増剛造『我が詩的自伝』*1から。
白倉敬彦*2は後半生において「春画」の研究で名を馳せ、2014年に他界した。


彼が一番特徴的なのは、病で片足が不自由な人だった。もうとんでもない変った性格の人で、負けず嫌いで大変だったんだけど(笑)、イザラ書房に行って安東次男さんの『詩 その沈黙と雄弁』という本を出した。それで安次さんに近寄っていった。フランス哲学をやっていたから、フランス系の政治的なやつが好きだったのね。その後、テックに行って、テックの上司が谷川雁だった。一番の友達が平岡正明。周りには、めちゃ過激な、過激を通り過ぎたようなやつばっかりいるんだよ(笑)。
そういう白倉が、その当時ようやく日本に入ってき始めたジャック・デリダミシェル・フーコージル・ドゥルーズ、特にデリダフーコーを訳させて、薄っぺらい本で出した。エディション・エパーヴね。
その訳者が豊崎光一さんと宮川淳さんと蓮實重彦氏。そのフランスの最先端みたいなところと安藤次男と現代詩が結びついて、それで詩のオブジェみたいなものをやろうというので、白倉が大岡信さんと加納光於さんを結びつけた。異種を結合させようとするラディカリズムだよ。それで、その次に吉増と若林*3を結びつけた。これは誰のアイデアだったのかな、後から白倉と若林が仲悪くなるからその辺が難しいんだけれども。ある意味では白倉さんも非常に苛烈な人生を送った人だから、どこかで火花散るの。その後は、計画倒れに終ったけれど、中西夏之さんと鈴木志郎康さんという案があったの。それは実現しなかった。でも、加納さんと大岡さん、吉増と若林は実現した。(pp.182-183)
2014年の『週刊ポスト』の記事;

春画発掘・普及に尽力した研究者の死 大英博物館も冥福祈る

2014.10.24 16:00


 春画の発掘と普及に尽力した孤高の研究者、白倉敬彦(しらくらよしひこ)氏がこの世を去ったのは10月4日だった。今春に小細胞肺がんが発覚し、闘病生活を続けていたが、無念にも力尽きた。享年75。

 白倉氏は本誌『週刊ポスト』人気シリーズ「江戸のSEX」で監修の役割を務め、江戸時代のエロスについてわかりやすく解説した。8月15・22日号の「『春画』と『エロ漫画』の系譜」にも病床から解説コメントを寄せてくれた。

 国際日本文化研究センター早川聞多教授は白倉氏の功績をこう語る。

「昨年10月3日から大英博物館で開催され、世界的な話題となった『春画展』は、白倉さんの研究と尽力がなければ実現できなかった」

 国際浮世絵学会会長で、岡田美術館館長の小林忠氏は、白倉氏の研究は日本よりもむしろ海外で高く評価されていたと証言する。

「白倉さんの訃報を、大英博物館の主任学芸員ティモシー・クラーク氏に知らせたら、すぐ『大変に残念だ。ご冥福を祈る』と心のこもった返信がありました」

 白倉氏は「春画=ポルノではなく、浮世絵の重要な一ジャンル」と説き、「純粋な芸術として評価すべき」、「江戸の庶民文化を現代に伝える貴重な資料」だと主張した。その見識が日本よりも先に欧米で受け入れられたのは、白倉氏にとってばかりか、我が国の美術史においても皮肉なことである。

 法政大学総長で江戸文化史研究の第一人者である田中優子氏も、白倉氏の死を惜しむ。

春画がアカデミックな意味で国際的な注目を集めたのが、白倉氏の企画で1994年に開催された米インディアナ大学でのシンポジウムでした。海外の浮世絵研究家たちに、『日本の春画研究はミスター・シラクラが下支えしている』は共通認識になっています」
http://www.news-postseven.com/archives/20141024_282579.html

田中総長が1999年に『張形 江戸をんなの性』(河出書房新社)を刊行する際、資料蒐集はもちろん、細かな教示を与えたのが他ならぬ白倉氏だった。

「私は白倉氏との共著として出版するつもりでしたが、氏は固辞されました」

 そのとき白倉氏は穏やかな口調でこういったという。

「江戸の女性のセックス事情に、女性研究者が真正面からぶつかることこそが、日本の文化史にとって意義あることなのです」

 それでもまだ日本における春画の位置づけは不当に低いと考える専門家は多い。かつては美術館がコレクションから外すだけでなく、古美術商ですら売買を渋った時代もあった。そんな中、白倉氏が全国を丹念に回って春画の発掘に心血を注いだことで、その系譜や技法が体系的に研究され、芸術性が理解されていった点は後世に残る偉業だろう。

 たびたび春画特集号を発刊し、白倉氏と仕事を共にした平凡社「別冊太陽」の竹内清乃編集長はいう。

「白倉さんは『春画は堂々と世に問えばいい。愉しいものは必ず売れるよ』とおっしゃっていました。日本人は明治維新で西欧のキリスト教的倫理観を受け入れ、せっかく庶民に浸透していた春画文化を封印してしまいました。白倉さんはパンドラの箱を開け、春画を現代に解放した人物なのです」

週刊ポスト2014年10月31日
http://www.news-postseven.com/archives/20141024_282579.html?PAGE=2

See also


春画研究第一人者 遺作で「性的欲望は灰になるまで」と語る」http://www.news-postseven.com/archives/20150129_300016.html


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