苗字が同じ

承前*1

犯人の平野達彦に死刑判決が下され、取り敢えず一件落着したことになった淡路島の殺人事件。この事件の特徴の一つとして、犯人と被害者が近所同士で、しかも苗字が同じだったということを挙げることができるだろう。つまり、近隣で同族内部の暴力。事件が発生した直後、犯人の平野達彦が反政府的な書き込みをネットにしていたということで、達彦に〈在日認定〉を下した熱湯浴がいた筈だ。そのとき、きょうびの熱湯浴は日本の田舎を知らないんだなと思った。田舎では集落の7割か8割が同じ苗字というところが多いということを*2。まあ問題は熱湯浴どもだけではない。田舎のけっこう閉鎖的な地域社会を舞台にした小説とかドラマとかで、登場する苗字の数が多いと、リアリティが失せてしまう。作り手の側としては、受け手に登場人物の区別をつけやすくするためという意図があるのかも知れないけれど、向こう三軒両隣が全部違う苗字だったりすると、やはり田舎的なリアリティがさっと退いてしまう。東京郊外の団地社会じゃないんだから。伊坂幸太郎の『オーデュボンの祈り』*3の殆ど唯一の欠点は苗字が多いこと。

オーデュボンの祈り (新潮文庫)

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