『朝日新聞』の記事;
伊能忠敬については、
伊能忠敬でGo 測量隊の宿泊地、スタンプラリーに上林格
2017年1月5日10時25分
近代的日本地図作製の先駆者、伊能忠敬(1745〜1818)の測量隊の宿泊地を、「伊能忠敬研究会」(事務局・東京都)が詳細に調べ、ホームページで公開を始めた。足跡をスタンプラリーで楽しめるスマートフォン向けアプリ「伊能でGo」の運用も、4月に始める。
測量は1800年から17年、9次に及んだ。宿泊地は北海道から鹿児島まで全国4200カ所ほどあり、宿場の本陣や寺、豪農のほか「船中泊」もあったという。研究会は「伊能忠敬測量日記」(全28巻)などを基に位置を確認・推定してグーグルマップ上に落とし、ホームページ(https://www.inopedia.tokyo/別ウインドウで開きます)で公開している。
アプリは、測量ルートがスマホの画面上に表示され、宿泊地が半径500メートルの円で表示される。円内に入り、静止状態でスマホの画面をタッチすると、デジタルスタンプが記録される仕組み(関東近郊の測量ルートは2月末から)。事前に設定した目標を達成した人は賞状を受け取れる。ダウンロード料は150円。
渡辺一郎・名誉代表は「宿泊地が現在どうなっているのか、現地を確認した方からの報告を楽しみにしたい」と話している。(上林格)
http://www.asahi.com/articles/ASJDV574KJDVUCVL024.html
Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%83%BD%E5%BF%A0%E6%95%AC
InoPediaをつくる会「伊能忠敬って」https://www.inopedia.tokyo/01ino/
「あの人の人生を知ろう〜伊能忠敬編」http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/tadataka.html
を取り敢えずマークしておく。
伊能忠敬の生い立ちはちょっと錯綜している。忠敬は上総国小関村の名主、小関貞恒の息子として生まれた。父親の貞恒は婿養子で、元々の苗字は神保。母親が死ぬと、母親の弟が名主を継ぎ、婿養子だった父親は離縁され、実家に帰る。忠敬は数年間小関家で育てられ、その後父親の元に帰っている。これは、東北から関東にかけて行われていた、性別を問わず第一子が家を継ぐ姉家督という家族制度*1によるもの。伊能忠敬の母親もそうだが、第一子が女性の場合、弟ではなく、長女が家を継ぐ。貞恒が子どもがいるにも拘らず妻の死後家を追い出されているように、姉家督制度における婿養子の立場は一般の婿養子よりもかなり弱かったようだ。
姉家督制度については、
森謙二「姉家督相続についての一考察」『法社会学』31、pp.117-140、1978 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsl1951/1979/31/1979_31_117/_pdf
をマークしておく。
また、
「姉家督〜命を繋ぐ〜」http://blog.goo.ne.jp/okudaidou/e/115bfad3947924a152b28b0a2ee115c1
岩手県在住のこの人の父親は、長男であっても長子ではなかったために家を継ぐことができなかったという。