今、河口慧海?

時事通信の記事;

チベット脱出時の日記見つかる=旅行記河口慧海堺市

時事通信 9月26日(月)19時36分配信


 堺市は26日、仏典を求めて日本人で初めて鎖国下のチベットに入った同市出身の僧侶、河口慧海(1866〜1945)の新たな日記が見つかったと発表した。

 02年のもので、チベット脱出時のことが書かれているという。これまでにチベットへの潜入ルートなどがほぼ判明することになった1900年と翌年の日記が発見されている。

 日記はB4とB5サイズの紙で計17ページ。慧海がラサに滞在した1月1日から、チベットを脱出してインドのダージリンにいた8月17日までの出来事を記述し、6月14日にトモ・リンチェンガンという関門で、病人のためにダージリンに薬を求めに行く医者を装ったことなどが書かれている。

 紙の傷みや汚れの状態から、日記は現地で書いたとみられる。帰国後に刊行された「チベット旅行記」にはほとんど書かれていないラサでの暮らしぶりなども記されているという。

 慧海の生誕150年の記念事業開催に当たって親族から提供された資料の中に含まれていた。10月26日から12月4日まで開く「慧海と堺」展で初めて公開される。 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160926-00000121-jij-soci

河口慧海*1は現在ちょっとしたホット・トピックなのだろうか。昨日だったか今日だったかの新聞には、立正大学で開催された「ネパールに魅せられた日本人たち〜河口慧海マナスル隊、探求と探検の軌跡〜」という公開講座*2の事後報告的な広告が載っていた。河口慧海の人生におけるハイライトはどうしても壮年期におけるチベット行ということになるのだろう。勿論それはそうなのだけど、仏門を志した青年期、また晩年における僧籍の返上(還俗)や学究としての生活もそれに劣らず興味をそそる。
ところで、河口慧海本人は黄檗宗の人。慧海が学んだ哲学館(現在の東洋大学)は浄土真宗系、チベットから帰還後に慧海が教授となった大正大学は浄土/真言豊山派)/天台。また「河口慧海文庫」として慧海関係の資料を多数所蔵する立正大学は勿論日蓮宗河口慧海を巡る状況が超宗派的になっていることに今更ながら驚く。