或いは読売か阪急か問題

習志野市谷津の「谷津バラ園*1に行き、さらに谷津干潟*2に遊んだ。「谷津バラ園」というのは元々1982年に閉園した「谷津遊園」*3という遊園地の一部だった。干潟には何度も行ったことがあるけど、「バラ園」に行ったのは40年ぶりだろうか。いやもっと。前に行ったときは、まだ谷津遊園の一部だった。「谷津バラ園」の入り口近くには「読売巨人軍発祥の地」石碑*4がある。「石碑」を巡って、〈聖地〉を防衛しようとする巨人信者と襲撃せんとする半巨人が金属バットを振り回して血塗れのバトルを繰り広げているということだったら面白いと思ったのだが、石碑はひっそりと忘れられたかのように静かに横たわっていた。
でも、面白いことを1つ発見した。「谷津バラ園」のパンフレットとか附近の標識では「プロ野球発祥の地石碑」となっている。しかし、実際の「石碑」には「読売巨人軍発祥の地/正力松太郎」と字が刻まれている。
さて、「巨人軍80周年の日に、発祥の地・谷津公園に行ってきました!」というエントリーがある*5。この方は、巨人の「設立記念日」である2014年12月26日に「谷津公園」に行ったというのだ。そして、「プロ野球発祥の地」問題に言及している;


公園の中をしばらく歩くと、「プロ野球発祥の地」の看板が!なお、厳密に言うと、これは半分正解、半分不正解です。

というのも、確かに現存するプロ野球チームで最古なのは巨人軍で間違いなく、「プロ野球」と言えば、今の日本人のほとんどがセ・リーグパ・リーグから構成されるNPB(日本プロ野球機構)をイメージしますので、そういう意味では「プロ野球発祥の地」で間違いないのですが、日本で初めて野球チームでプロ化を宣言したのは、大正9年1920年)に発足した「日本運動協会」(通称・芝浦協会)です。

このチームはたんにプロ化を宣言しただけでなく、現在の東京都港区海岸3丁目、ゆりかもめ芝浦ふ頭駅近くにあった「芝浦球場」という専用球場を持ち、入場料を取って野球の試合を見せていて、形態としても完全なプロチームだったのです。

でも、この芝浦協会チームは、大正12年関東大震災でチームを解散することになってしまいました。

なお、このチームをその後引き取ったのが、なんと、年末のブログでも紹介した、宝塚歌劇団創設者の小林一三で、兵庫県の宝塚球場に本拠地を移転させ、チーム名も「宝塚運動協会」としました。その後、このチームも解散するのですが、興行としての野球の可能性を高く評価していた一三は、のちにパ・リーグに参加する「阪急ブレーブス」というチームを創設します。

「阪急ブレーブス」は後に親会社もティーム名も本拠地も変わり、オリックスブルーウェーブとなり、さらに小林信彦=W・C・フラナガン的には「野球」の起源に関わる筈の近鉄バッファローズ*6を吸収合併して、今に至る。東宝(阪急)か読売かという問題だったわけだ。
ところで、今はなき「谷津遊園」について、


『谷津遊園情報局』http://yatsuyuuen.okoshi-yasu.com/
『谷津遊園めもりぃず』http://hkuma.net/yatsu/


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