津島佑子

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作家・津島佑子さん死去 著書に「火の山」など、太宰治の次女


 「火の山」「笑いオオカミ」など、近代日本の精神を見詰め、生と死、家族など根源的なテーマの小説を書き続けた作家の津島佑子(つしま・ゆうこ、本名里子=さとこ)さんが18日午後4時10分、肺がんのため東京都文京区の病院で死去した。68歳。東京都出身。葬儀は近親者で行う。喪主は長女香以(かい)さん。

 作家太宰治の次女として生まれた。1歳のときに太宰が自殺。文学から遠ざけようと家に小説などを置かず、ピアノなどを勧める母の意図に反し、小学校の図書館で借りた本を読む“隠れ文学少女”として育った。

 作家の中上健次さんとは同学年で、ともに同人誌「文芸首都」に参加。互いに認め合う文学上のライバル同士だった。白百合女子大在学中から小説を発表。

 1971年「謝肉祭」を出版。30代のころから文学賞を次々に受賞した。78年、想像妊娠する女性の孤独を描く「寵児」(女流文学賞)で作家としての地位を確立した。この他、長男を亡くした喪失感と祈りを文学に昇華させた「夜の光に追われて」で読売文学賞受賞。91年から1年間、パリ大学の研究所で近代日本文学を講義した。

 母美知子さんの一族をモデルにした98年の「火の山―山猿記」は父太宰を思わせる人物を初めて登場させた作品で、谷崎潤一郎賞野間文芸賞をダブル受賞。NHK連続テレビ小説純情きらり」の原案にもなった。

 この他の作品に「光の領分」「ナラ・レポート」など。川端康成文学賞伊藤整文学賞大仏次郎賞、毎日芸術賞も受賞。近年では、東日本大震災原発事故を受けて書いた小説「ヤマネコ・ドーム」が評判を集めた。

 作品は海外にも翻訳されて高い評価を得ている。アジアの文学者たちとも盛んに交流してきた。

 約1年前に肺がんが見つかり、闘病をしながら執筆を続けていた。

[ 2016年2月18日 20:30 ]
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2016/02/18/kiji/K20160218012064450.html

「肺がん」とはいえ、享年68歳というのは早すぎるという感じはする。
文学者が死ぬと、何だか、これとこれを読了するまでは死ぬなと、課題図書を突きつけられる、という感じはする。津島佑子*1という人は、他人に読めといわれても、或いは突然読みたいなと思っても、読む時期を逸してしまったり、或いはしばらく作家の名前も忘れていたのに、本屋で偶々見つけて読んでしまったり、という感じの作家なのだった。『寵児』をたしか予備校の英語の教師が絶賛していたのだけど、そのときは読まず、何年か経って読みたいと思ったときは、もう本屋の棚になかった。それから、タイトルに惹かれて、『水府』を読み、21世紀に入ってからは『快楽の本棚』 というエッセイを読んだ。また、最近だと、『黄金の夢の歌』を本屋で見かけて、分厚い文庫本であるにも拘らず、何だか本が買え! 読め! と命令しているような気がして、買ってしまったということがある。
黄金の夢の歌 (講談社文庫)

黄金の夢の歌 (講談社文庫)

上の記事に限らず、津島さんは常に「太宰治の次女」という肩書きつきで語られた。太宰*2は彼女が1歳のときに愛人と心中したので、太宰の記憶は殆どない筈。それにしても、障害付き纏った「太宰治の次女」という肩書きに対する思いは如何なるものだったか。なお、小学校高学年の頃に母親の目を盗んで、作家としての太宰治に出会ったことについては、『快楽の本棚』に記述あり。
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孔明0530「<訃報>作家の津島佑子さん死去68歳。太宰治の次女」http://matome.naver.jp/odai/2145579606183260901