「馬鹿」かどうかは知らないけれど

承前*1

『RBB TODAY』の記事;


清原容疑者「永久追放」発言の杉村太蔵に、上西小百合議員「所詮馬鹿は馬鹿」
2016年2月8日(月) 20時00分


 “浪速のエリカ様”こと上西小百合衆議院議員が、覚せい剤取締法違反で逮捕された元プロ野球選手の清原和博容疑者について「なぜプロ野球機構が永久追放だと言わないのか」との意見を述べた元衆議院議員でタレントの杉村太蔵を「所詮馬鹿は馬鹿なのか」と切り捨てた。

 杉村は7日放送のTBS系「サンデー・ジャポン」にゲスト出演。清原容疑者が今後、更生できるかについて出演者たちが意見を交わす中で、杉村は「今の段階でね、清原容疑者に対して更生の話は、完全に時期尚早ですよ。私はね、なぜプロ野球機構が永久追放だと言わないのかって。普通の企業なら一発解雇で、『2度と会社の前に来るな』ですよ」と主張。MCを務める爆笑問題太田光は「更生するなって言うの?」と反論し、テリー伊藤も「永久追放したら、清原の行き場所、どうすんだよ」と非難した。

 上西議員は杉村の発言を受け、同日Twitterで「杉村太蔵氏が、清原(容疑者って言っていいのかどうかわからないので呼び捨てですが)の事を永久追放って言った。世間に出て少しはまともになったかなと思ったけど、所詮馬鹿は馬鹿なのか。タレントになるってこういう事なのかな」とバッサリ。「永久追放なんて簡単に言える人は、軽すぎる馬鹿だ。いろんな事があるんだ」と切り捨てた。
《花》
http://www.rbbtoday.com/article/2016/02/08/139483.html

上西小百合*2のいうように、杉村太蔵*3が「軽すぎる馬鹿」だということはあるのかも知れない。しかし、その一方で、杉村は「軽すぎる馬鹿」だからこそ、少なからぬ人たちに愛されているということもあるのではないだろうか。それはさて措いて、杉村の「永久追放」論だけど、それに賛成/反対以前に、その前提がおかしいだろうと思った。離婚した配偶者と離婚することはできない。フィル・コリンズみたいに復縁することはできるだろうけど*4。清原はあくまでも「元プロ野球選手」なのであって、監督やコーチでもなく、どこかの球団の職員でもない。「プロ野球機構」とは無関係の人なのだ。既に無関係な人を「永久追放」できるのか。まあ、既に辞めてしまった小保方晴子理研が何を言っても、彼女にとっては関係ねぇよというのと同じなのでは?

また、


泉谷しげる覚せい剤が合法だった少年時代「フツーに声かけて来た」
2016年2月9日(火) 18時13分

 シンガーソングライターの泉谷しげるが、覚せい剤が合法だった少年時代の体験を明かした。

 泉谷は9日にブログを更新し、「たしか〜1962年頃まで映画界は撮影現場にてヒロポン覚醒剤)を配ってたとか!」「取り締まりか本格化したのは64年に『東京オリンピック』が開催されるので先進国になるためにも、地域の『暗部一掃』キャンペーンだったンではと云われてンだよ。しかし、突貫工事に近い競技上建設スケジュールにて労働者の多くに覚醒剤が配給されてたってンだからな〜!」(原文ママ)と当時を振り返った。

 そして自身が14歳だった頃、「まわりの大人はワルな雰囲気を持ってる者おおく街の盛り場で『兄ちゃん1本打っとくか?元気になるよ』とフツーに声かけて来たもんさ」と、勧められることもしばしばだったという。「だが中学生のオイラは、成長ざかりで寝るのが大好きな頃さ。何日も眠らないで働く労働力なンぞいらないし、ナニより注射が大キライだったからね〜嫌いが身を助けたかも!(笑)」と、薬物に手を出さずに済んだ“幸運”を明かした。
《花》
http://www.rbbtoday.com/article/2016/02/09/139519.html

覚醒剤が禁止されたのは1951年のことなので、さすがに泉谷*5の少年時代に「覚せい剤が合法だった」わけはない。ただ、権力や世論がどれほど弾圧に本腰を入れていたのかということに問題をずらせば、泉谷の言っていることも、まあそうだったかも知れないね、ということになる。ただ、オリンピック施設の建設労働者に「覚醒剤が配給されてた」というのは一瞬信じてしまいそうになるけど、やはり具体的な証拠が必要だろう。オリンピックを目前にした「地域の『暗部一掃』キャンペーン」は幾度か桜井哲夫氏の『思想としての60年代』を参照しつつ、最近言及した*6。シャブというのは1940年代には、24時間戦えますか、とか、ファイト一発! という感覚で使われていたわけで、「安くて強い」焼酎が「労働者の酒」であるように、労働者のクスリであったわけだ。だから、建設労働者へのシャブ「配給」というのは、それが事実かどうかはともかくとして、少なくともそういう噂(都市伝説)があっただろうということは充分に理解できるのだ。まあ、最近深夜バスが山道から転がるという事故が起きたわけだが*7、深夜バスの運転手にシャブを支給しろという議論はないね。まあ、そう言ってみたい人はいるのかも知れないけれど、そう言った途端に炎上するのを知っているので言わないということなのだろう。また、今や覚醒剤の闇価格は上昇し、労働者の手が届きにくくなったので、福岡の人みたいに、死に至るまでカフェインを飲み続けるという人も出てきたのだろう*8
思想としての60年代 (ちくま学芸文庫)

思想としての60年代 (ちくま学芸文庫)

というわけで、というかどういうわけか、遅くとも1960年代後半以降、シャブは若者のドラッグとはあまり見做されていなかったように思う。権力や世間の側でも、若者の使用を警戒していたのは、睡眠薬とかトルエンのようなダウナー系や大麻のような幻覚系だったのではないかと思う。