胡瓜が解禁された日

東京新聞』の記事;


<甦る経済秘史>カッパが消えた 開発と農村衰退

2015年6月16日 朝刊

 読経が風に乗って川面を渡る。住職の前の祭壇にはカッパに供えるキュウリ。参列した住民たちの胸に、さまざまな思いが去来する。ある者はキュウリによる稼ぎを心待ちにし、ある者は破戒を恐れていた。

 一九八一(昭和五十六)年早春、三重県熊野市の平(だいら)集落。この地で三百年間守られてきた「キュウリ作らず」の戒めが、おはらいとともに解かれた。休耕田にビニールハウスを建て、キュウリを生産する。一反(約一千平方メートル)で年収四十万円の触れ込みで、農協が計画を持ち込んでいた。

 市史などは伝説をこう伝える。

 <大雨が降ると、悪さが好きなカッパが牛や子どもを川に引きずり込んだ。ある時、村人はカッパを逆に陸に引き上げ、袋だたきにした。カッパは「俺の好物のキュウリがあると村に来たくなってしまう。キュウリを作らないなら、金輪際出てこない」と命乞いをした。庄屋は村でキュウリを作らないことを決め、カッパと契約を結んだ上で放してやった>

 以来、集落ではキュウリ栽培はタブーに。食べる分は、外から分けてもらい、生ごみから、キュウリの芽が出れば引っこ抜いた。「カッパとの契約のおかげで、川での溺死は聞いたこともない」と、製材業の杉下悦夫(79)は振り返る。

 日本神話で神武天皇東征の舞台になった熊野。戦後も妖怪伝説が生活に影響力を持った。


◆きっかけはダム

 だが、水への恐れから生まれたカッパは、高度成長を境に忘れられていく。きっかけはダム建設。

 神武景気岩戸景気など建国以来とうたわれる規模で消費が伸び、鉄鋼や化学産業が発展するにつれ、電力需給は逼迫(ひっぱく)。昭和五十年代までに全国各地の大河川で四十を超える発電設備が造られた。


 熊野川水系の深い谷にもコンクリートの壁がそびえ立った。年間四〇〇〇ミリに達する雨は大きな電力を生んだ。一方で川はやせ、水は濁り、子どもは川遊びをしなくなった。伐採した木材をロープで組み、人が上に乗って運ぶ「いかだ下り」は消え、カッパのしわざとされた水難事故もなくなった。

 「水との関わりがなくなると、信じる理由もなくなる」。いかだ師を祖父に持つ平野皓大(こうだい)(50)=和歌山県新宮市=は話す。同川流域で池原ダムなど六つの大型ダムが完成した昭和四十年代には、伝説は意識されなくなった。

 ダム建設の見返りに、山あいには舗装道が造られたが、過疎化は止まらない。住民は街に移り住み、村は共同体の機能を失い、自給自足も難しくなった。


◆「国壊しの神話」

 紀伊半島では、ほかにも旅人に取りついて意識を失わせる餓鬼「ダル」や、子どもの神隠しの原因とされた天狗(てんぐ)などの妖怪伝説があったが、カッパ同様恐れられることがなくなった。

 専門家らは全国各地の妖怪伝承は高度成長期に加速した農山村の衰退で急速に消えていったと考える。

 「高度成長は一種の『過激成長』。現代が生んだ『国壊しの神話』だった」。民衆史が専門の東京経済大名誉教授の色川大吉(89)が言う。

 平集落も住民が昭和五十年代の半数近くに減少。「カッパの碑」だけが、人々が三百年守り続けた約束があったことを静かに伝えている。 (敬称略)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2015061602000229.html

河童*1との休戦協定として胡瓜栽培をタブー化したという習俗は多分ほかの地域にもあるのだろうな。河童と胡瓜の結び付きは祇園信仰牛頭天王への信仰)に由来するらしいからだ。

河童の好物はなぜ胡瓜なのでしょう。確かに胡瓜は夏の食材ですし、生でバリバリ食べられますし、そのみずみずしい青色が河童のイメージと重なるとはいえますが、別に夏の食べ物でしたら、スイカとか茄子とか、他のものでも良いようにも思えます。  少々ややこしいのですが、それは祇園祭りで有名な祇園社(八坂神社)と関係しているようです。同社の紋は木瓜もっこう)紋で、これを訓読みするとキウリになり、それがキュウリに通じる、あるいは木瓜紋が胡瓜の切り口に似ていることから、祇園社では胡瓜を特別な食材とし、神饌に用いたり、胡瓜を食べることを慎むようになったとされています。 一方、同社の祭神である牛頭天王は、流行病・天災をつかさどる疫神であるとともに、水神でもあり、中・近世を通じてその信仰が全国に広がってゆきました。江戸の後期に至って疫神・水神たる牛頭天王イメージから川辺の妖怪河童が生み出されると、その供物として胡瓜が選ばれます。祇園社と胡瓜、牛頭天王と河童との関係からすると妥当な選択ですが、その関係が曖昧になると、河童の好物だからと説明するようになったのでしょう。
http://www.kusudama.jp/recipe/history/9cdr9r0000003j4y.html
ここで参考文献として挙げられているのは、


竹田旦「水神信仰と河童」『民間伝承』13-8、1949
松前健「祇園牛頭天神社の創建と天王信仰の源流」『角田文衛博士古希記念 古代学叢論』1983
石川純一郎『新版河童の世界』時事通信社、1985


See also http://before-and-afterimages.jp/news/C1884801429/E34153120/index.html