長田弘

詩人の長田弘*1が亡くなったことを知る。
(氏の出身地の)『福島民友新聞』の記事;


長田弘さん死去 福島市出身、詩集「深呼吸の必要

福島民友新聞 5月11日(月)11時49分配信


 福島市出身で、詩集「深呼吸の必要」などの詩作やエッセー、評論など幅広い分野で活躍した詩人の長田弘(おさだ・ひろし)さんが3日午後3時25分、胆管がんのため東京都杉並区の自宅で死去した。75歳。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は長男敦(あつし)氏。
 福島高を経て早稲田大に進み、安保闘争のあった1960(昭和35)年に詩作を始め、詩誌「鳥」を創刊。65年、詩集「われら新鮮な旅人」でデビュー。深い思索をシンプルな言葉で紡ぎ、幅広い年代から支持を得た。
 84年の散文詩集「深呼吸の必要」が共感を呼んだほか、評論やエッセー、翻訳など、さまざまな分野で活躍。評論「私の二十世紀書店」や、NHK視点・論点」での談話をまとめたエッセー「なつかしい時間」など、著書多数。「ねこに未来はない」「森の絵本」といった児童文学作品も手掛けたほか、読売新聞「こどもの詩」の選者を務めた。本紙創刊110周年記念特集に「人と人をつなぐもの」と題して寄稿している。東日本大震災原発事故で故郷の福島が被害を受けたことを憂い、鎮魂の詩も発表した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150511-00010010-minyu-l07


福島盆地、旅の出発点 長田弘さん死去、信じた言葉の力

福島民友新聞 5月11日(月)11時41分配信


 3日亡くなった福島市出身の詩人長田弘さん=享年(75)=は、故郷を具体的に語ることはほとんどなかった。デビュー作の書名「われら新鮮な旅人」の通り、旅するように国内外で転居を重ねた。しかし同時に、記憶に刻まれた故郷など土地土地の風景や匂い、生活習慣を大切にした。
 長田さんは1939(昭和14)年、福島市新町生まれ。44年、岩代熱海温泉(現郡山市熱海町)の祖父母宅に一人で疎開した後、三春町で終戦を迎えた。翌年、三春小入学。小学4年の時、福島市に転居。福島大付属小、同中を経て福島高を卒業した。自身の詩によると、三春町では御免町、福島市では瀬上町、宮下町で暮らした。
 高校卒業後は家族で東京都板橋区へ転居。最後の著作「長田弘全詩集」に書き下ろされた「場所と記憶」には「福島市という四方を山脈に囲まれた盆地に育ったわたしには、遮る山々のない広大な空の下、東京の西北からひろがる眼下の眺めは初めて見る景色だった」と記した。盆地は長田さんにとっては旅の出発点だった。ただ、4月下旬、「全詩集」についてインタビューした際には「10年前、エッセーで地名を出さず故郷について書いた時、会いに来た人が『私は(福島市)瀬上の出身。あれは私の故郷ですね』と言い、驚いた」とうれしそうに話していた。
 「木や草の名前が引き起こす思い出。それが同じなのだ」と長田さんは解説した。それを聞き、この詩人は、人と人とを共感させ結び付ける「言葉の力」を信じ求めたのだと思った。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150511-00010001-minyu-l07

自分でも意外だったのだが、これまで拙blogで長田さんのことを言及したことはなかった。勿論、長田さんの膨大な業績に通じているわけではなく、(何故か)長田さんというと、(例えば)『アウシュヴィッツへの旅』や『見よ、旅人よ』といった批評的な紀行文の作者というイメージが強いのだった。また、長田さんが岩波文庫の『中井正一評論集』の編者だということも付け加えておくべきだろう。
見よ、旅人よ (朝日選書)

見よ、旅人よ (朝日選書)

中井正一評論集 (岩波文庫)

中井正一評論集 (岩波文庫)