史跡として保存せよ

『毎日』の記事;


成田空港:占拠事件もありました…旧管制塔が取り壊しへ

毎日新聞 2015年04月03日 11時19分(最終更新 04月03日 11時40分)


 1978年の成田空港開港直前、建設に反対する過激派による占拠事件の舞台になった旧管制塔(高さ約62メートル)が、取り壊されることになった。93年に新管制塔(同約87メートル)の完成後は、駐機場などを走行する航空機を誘導するための「ランプコントロールタワー」として利用されてきたが、耐震性の問題が判明したため。2018年4月以降に撤去される見通しで、昭和史の舞台の一つが姿を消す。

 成田空港は78年3月30日に開港予定だったが、その4日前に過激派メンバーが下水道のマンホールから空港敷地内に侵入。管制塔を占拠した6人は逮捕されるまでの約2時間にハンマーで無線設備などの管制機器を破壊し、開港は約50日後の5月20日に延期された。

 成田国際空港会社は、旧管制塔の取り壊し方針について、ランプタワーとしての業務をしながら改修工事を実施することが不可能なためとしている。新ランプタワーは現在地の南に16年7月に着工予定で、高さは同程度になる見通し。新ランプタワーが18年4月に完成した後、旧管制塔は取り壊されるという。【早川健人】
http://mainichi.jp/select/news/20150403k0000e040218000c.html

第四インター戦旗派共産主義労働者党の混成部隊による管制塔占拠・破壊という偉業*1三里塚闘争*2のクライマックスを示すものだったといえるだろう(今となっては)。2か月遅れで新東京国際空港が開港した後の歴史の流れは、周知のように、反対運動の暴力的な分裂と衰退、そして「成田空港」の存在の自明化の昂進である。それだけでなく、「成田空港」誕生に纏わる血塗られた歴史はほぼ漆喰を塗られてしまった(whitewashed)といえるだろう。「旧管制塔」の「取り壊し」については、「耐震性」という技術的問題だけでなく、〈漆喰〉の総仕上げという意味があるんじゃねぇかとやっぱし勘繰ってしまう。史跡或いはモニュメントとして保存すべきだろう。
管制塔占拠闘争については以下も参照されたし;


『★俺たち、タワー・アタッカー!!★』http://narita1978.jugem.jp/