もう終わったのか、など

田中善一郎「多様性が失われるソーシャルメディア、「沈黙のスパイラル」へ」http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakazenichiro/20140828-00038649/


Web2.0てもう終わっちゃったの?


インターネットの世界では、 提供者から消費者へ、また組織から個人へと、主役がシフトしていくと見られていた。少し前のWeb2.0時代までは、このような夢物語が現実味を帯びてきていた。個人が発するブログなどが闊歩した時代でもあり、少数派の意見でも注目されることが多かった。多様な意見が受け入れられるネット世界が定着するかのように思えたのだ。

ところがフェイスブックツイッターなどのソーシャルメディアが本格化するに伴い、風向きが変わってきた。インターネットの特徴であった多様性が失われてきているというのだ。ここで紹介するPew Research Centerの調査結果でも、ソーシャルメディアでは多様な意見を交わすことが減り、「沈黙のスパイラル」現象に陥っているとまとめている。ソーシャルメディアにおいて、多くのユーザーは反論を交えて議論しようとせず、特定の意見やニュースに同調する傾向が強まっているというのだ。

かつてはネット上では政治的な議論がますます活発に展開するものと見られていた。特にソーシャルメディアにおいては、異質な人たちの間の接触機会が増え、多様な主張も聞いてもらえるとの期待が膨らんでいた。ところが実際には、同質の者同士が結集し特定の意見に皆が同調する流れが加速化することがあっても、異質な者同士が結びつくことはあまり起こらなかった。それよりも異質な者との分断を深めてきているのだ。

「Pew Research Centerの調査結果」は、


Keith Hampton, Lee Rainie, Weixu Lu, Maria Dwyer, Inyoung Shin and Kristen Purcell “Social Media and the ‘Spiral of Silence’” http://www.pewinternet.org/2014/08/26/social-media-and-the-spiral-of-silence/


大まかに要約してしまうと、社会的・政治的問題を「ソーシャル・メディア」で議論しようと望む人は、それらをパーソナルな環境で議論しようと望む人よりも少ないということ。また、「沈黙の螺旋(spiral of silence)」だが、それは「友達や家族、同僚に対しても、異なる意見を擁しているようだとネット上でユーザーは自分の意見を投稿しないようにしている」ということ。
さらに田中氏曰く、


ユーザー参加が売りだったWeb2.0時代には、アーリーアダプターインフルエンサーなどの能動的なユーザーが主導的な役割を演じてきた。その後のソーシャルメディア時代には、圧倒的多数のサイレントマジョリティーが主役になってきた。フェイスブックのいいよ!とか、ツイッターリツイートピンタレストの画像コピペのように、いかにもユーザーが参加していると思わせるソーシャルメディア・サービスに、多くの人が満足するようになった。実際に、このようなサイレントな受動的なユーザーが爆発的に増えてきているのだ。提供者側からすればコントロールしやすい消費者といえそう。提供者主導で配信されるバイラルメディアやキューレーションニュースアプリが流行るのも、こうした受動的なユーザーのお蔭か。まさに「沈黙(サイレンス)のスパイラル」が進む。
時間的な尺度がちょっと違うのだけれど、こういうことは言えないか。公共圏と親密圏はそもそも矛盾するところがある。「ソーシャルメディア」の「ソーシャル」とは親密圏と公共圏の鵺的な領域であること。ということで、アレントが『人間の条件』の中で行った「社会的なものの勃興(rise of the social)」の議論*1を再読すべきか。
The Human Condition

The Human Condition

*1:Mentioned in eg. http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070603/1180896995 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100416/1271390292 See also Hanna Fenichel Pitkin The Attack of the Blob

The Attack of the Blob: Hannah Arendt's Concept of the Social

The Attack of the Blob: Hannah Arendt's Concept of the Social