コンテクストのことなど

冷泉彰彦*1ガラパゴス化した日本の「ドラマ」、コンテンツ輸出にはどんな工夫が必要か?」http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2013/11/post-604.php


まあ「アルコール飲料」絡みのドラマをイスラーム圏に売り込むのは無理というのは、成る程、と思った。しかし、ここで言われていることというのは、この話も含めて当たり前といえば当たり前なことだ。
別のことをちょこっと考えた。TVドラマに限らず、あらゆる表現物は複数のコンテクストの下に置かれている。コンテクストについての知識がなければその表現物の意味が理解できないこともある。コンテクストは余所者を撥ねつける〈壁〉であると同時に、表現物を享受する人に豊かな意味を供給する泉でもある。例えば言及されている『あまちゃん』には、


海女文化
三陸地方
日本のローカル線
日本のアイドル文化
1980年代の日本
東日本大震災
etc

というようなコンテクストがある。国内においては、作り手と視聴者が幾つものコンテクストを共有していることが(或る意味では規範的に)期待されている。しかし、一旦国境の外に出たら、そのような期待というのはないよという話でしょ。ただここでいうコンテクストというのは或る程度は知識の問題であって、(原理的には)誰もが学習によって共有可能なものである。映像にせよキャラクターにせよ、或いは音楽にせよ、何か魅せるものがあれば、そのことによってコンテクスト学習が刺戟される筈だ。或いは、国境の外の受け手によって、ドメスティックな受け手が自明なものとしていたコンテクストではない新たなコンテクストが創造されるという可能性もある。
それで、話は『ダーマ&グレッグ*2。このドラマは勿論ダーマを初めとする登場人物のキャラが魅力的だということはあるのだけれど、米国社会における階級構成、米国における左翼やヒッピーやそれに纏わるサブカルチャーというコンテクストを踏まえなければその面白さは半減するのではないか。