三上/泉谷

神庭亮介「異端の三上寛ツイッターを歌う インタビュー詳報」http://www.asahi.com/articles/TKY201311180095.html


曰く、


――「ひびけ電気釜!!」「昭和の大飢饉(ききん)予告編」といった70年代の曲には、ここでは書けないような卑猥(ひわい)な歌詞も出てきます。

 ビートニクの基本はスラング。小泊小学校時代の恩師でもある現代詩人の泉谷明先生の影響で、私はそういうビートの手法を知っていたんです。でも都会の人は、まだビートもギンズバーグも知らなかった。

 今だから言えるけど、ただ野蛮に目立とうと思ってたわけじゃなく、ちゃんとした裏付けがあったわけです。ただ当時は、「ギンズバーグの流れをくんでいる」とか、「ちゃんと勉強している」と思われるのは絶対嫌だった。だから、野蛮で結構です、ということでやってきたのさ。

 ――歌詞にある田舎の土着的な世界とは裏腹に、小泊村の方が東京より先を行っている部分もあったと。

 そういうことですね。昨日、泉谷先生と10年ぶりにゆっくり話をしてきたけど、この人がいなければ、今の自分はなかった。モヒカン頭に青い作業着の上下の小学校教師なんて、普通はいないでしょう。あの頃はビート=モヒカンというイメージでしたからね。

泉谷明について;

泉谷明(いずみや あきら)
 1938年青森県生。五所川原高校、弘前大学教育学部卒。76年、「第17回土井晩翠賞」受賞。77年、「第4回青森県芸術文化奨励賞」受賞。詩集『噴き上げる熱い桃色の鳥』(66)『ぼくら生存のひらひら』(68)『人間滅びてゆく血のありか』(72)『濡れて路上いつまでもしぶき』(76、以上津軽書房)『あなたのいる場所へ』(79、沖積舎)『ぼくの持てるすべての抒情を吹きとばし』(85)『日は降る雪をのぼってきた』(87)『魂の漂白として素足で』(90、以上路上社)『雨の日だからポテトを食べて』(96、「亜土」詩会)『心配ですか』(97、路上社)、『ひとひとり』(01、路上社)。小学校長で定年退職。弘前市栄町在住。「亜土」同人。近刊に小説『たびたち』(路上社)。
http://homepage3.nifty.com/~kurino/tugaru/sizinN.htm
泉谷しげるの親戚である可能性もなきにしもあらず。
長らく三上寛*1というのは三角寛*2を捩った藝名だと思っていたのだけれど、本名であることに気づいた。三上寛といえば、やはり『田園に死す*3の衝撃、端的に吃驚したぜということは、忘れられない。
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