- 作者: 橋爪大三郎
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 1991/01
- メディア: ハードカバー
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橋爪大三郎*1「マルクス主義の瓦礫を越えて」(in 『現代思想はいま何を考えればよいのか』、pp.40-53)*2から;
団塊の世代は二十年ほど前、全共闘を結成、日本中の大学で学生叛乱をひき起こした。当時(七〇年)の運動もそうだし、その前の安保闘争(六〇年)もそうだが、あれほど収拾のつかない騒ぎになったのは、共産党の指導力が低下し、その権威を認めない人びとが増えていたからである。五六年のハンガリー動乱や、スターリン批判が引きがねとなって、たちまち、反スターリン主義が日本でも当たり前になった。
反スターリン主義を唱えると、どういうことになるのか? 日本共産党をはじめとして、それまで日本に根づいていたマルクス主義・共産主義の伝統の、かなりの部分を否定しなければならなくなる。そこで、ある者は反スターリン主義の新しい「前衛党」建設に期待をつなぎ、ある者はヨーロッパ・マルクス主義や自主管理・構造改革に期待をつなぎ、ある者は吉本隆明の自立の思想に期待をつなぎ、……ということになった。要するに、混乱の極みである。
この頃のことを思い出しながら、現在の東欧情勢に目をやると、アンビバレントな感情に襲われる。
いっぽうでは、そら見たことか、と思う。ハンガリーでもチェコでも、かつてさまざまな汚名を着せられて闇に葬られた人びとが、名誉を回復した。どうだ、反スターリン主義が正しかったことが、証明されたろう。やっぱり俺たちは、正しかったんだ。
こう胸を張りたいいっぽうで、マルクス主義に、どんな希望のひとかけらも残されていないことがはっきりしたわけでもある。これは、つらいと言えばつらい。全共闘の学生たちは、ソ連も中国も、日本共産党も、革マルや中核だってどうしようもないと思いながらも、自分たちの社会が、昔マルクスが描いたような道筋にしたがって、資本主義社会と違った方向に変化してゆくのだ、いやそうあって欲しいという、漠然とした感覚をもっていた。歴史がまだ信じられていた、と言ってもよい。しかし今回の東欧情勢をみれば、そういう歴史感覚がまるっきり見当はずれだったことを認めないわけにはいかない。若い日の努力がまるで無駄だったと言われたみたいで、当惑を隠せない。(pp.40-42)
*1:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060720/1153403176 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070530/1180549562 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080130/1201705768 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091128/1259384146 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100914/1284473658 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101004/1286217034 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110103/1294083279 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110822/1314038999 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120621/1340291749 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130821/1377049056
*2:初出は『正論』1990年2月号。