「右傾エンタメ」by 石田衣良(メモ)

承前*1

石田衣良「独善、自閉でない誇りへ 右傾エンタメと「大衆」の行方」『毎日新聞』2013年7月4日夕刊


最後の部分を写しておく;


右傾化の問題は作品より読者にある。作家はいつだって時代の変化を後からのんびり追いかける。山本周五郎の情に泣き、司馬遼太郎の志に奮い立ち、池波正太郎の技に唸った大衆文芸の読者、「大衆」そのものが草の根からなし崩しに右傾化を起こしているのだ。右傾エンタメどころか「憂国」小説が書店にあふれる日もそう遠くないだろう。理性ではなく、情とセンチメントによる右傾化が今後も広がりを増し、より深く進行していく可能性がこの国では高い。その祥子のひとつとして、右傾エンタメの興隆がある。
経済が伸び悩み、国際社会での影響力が低下すると、その国は独善的になり、内に閉じ、伝統に回帰しがちだというのは、国際関係論のセオリーという。右傾化も国力衰退症候群のありふれた症状のひとつと冷静に指摘しておけば十分なのかもしれない。
世界には約二百の国がある。自分たちばかり不当におとしめられていると心穏やかでないのは、ぼくたち日本人だけではないだろうか。取り戻すべき普通(の国)は、最初から手のうちにあるというのは、小説ではよく使われる皮肉なアイディアだ。
それでも右傾化の勢いは当分とどまることはないだろう。改憲論議が盛り上がりを見せている今、独善でも自閉でもなく、世界から孤立しない新しい「右」=日本の誇りの在り方を真剣に考える時がきたのかもしれない。