所謂地球温暖化問題を巡っては、陰謀理論が根強く蔓延っている*1。それが一定のもっともらしさを獲得してしまう理由のひとつには「温暖化」が問題化した時期のことがあるのではないか。ということで、米本昌平氏*2の文章をメモってみる。
「ポスト核抑止の安全保障概念を」『毎日新聞』2013年6月3日
前半部では冷戦期における「非合理なほどの合理主義の席巻」の例として「ランド研究所」のことが採り上げられている。そして冷戦の終わり。
「地震研究」と「核実験」の関係;
米ソ核対決を前提に組み立てられてきた国際政治に突然、脅威の空隙が生じ、国際政治はその生理として、この空隙を埋める新たな「脅威」が必要となった。こうして急遽、外交の主要課題として認知され始めたのが温暖化問題なのである。
考えてみると、核戦争の脅威と温暖化の脅威とは似ている面がある。第一に地球レベルの脅威である、第二に各国の経済政策と深く連動している、第三に脅威の実態の確認が困難である。もちろん両者には違いもある。その一つが脅威の質である。冷戦時代、核戦争の脅威が過剰に見積もられた結果、後世には大量の核弾頭と核廃棄物が残された。他方、温暖化の脅威を少々大きく見積もったとしても、後世に残るのは、省エネ・公害防止の研究と投資である。なんと幸いな脅威であろう。
米本氏の『地球環境問題とは何か』をマークしておく。
(前略)地震研究が飛躍的に進んだのは、地下核実験監視の目的で、高精度の地震観測網が張り巡らされて以降である。先進国のなかで、首都を含め国全体が地震の多発地帯の上にあるのは日本だけである。
国家の第一の使命が、国民の生命財産を守ることであるのなら、戦争を主軸に置いた狭義の安全保障概念を拡大し、数百年の単位で到来する温暖化と巨大地震・巨大津波を脅威の内に繰り込んだ文明の設計とその実現に、全知性を傾けること、それがポスト震災に生きるわれわれに与えられた課題なのである。
- 作者: 米本昌平
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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*1:See eg. http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080131/1201781124 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080809/1218256301 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091230/1262144139 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110403/1301804644 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110417/1303059278 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110522/1306002698 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110822/1314038999 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130408/1365352666
*2:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110425/1303751332