「制度言語」(メモ)

意味がなければスイングはない (文春文庫)

意味がなければスイングはない (文春文庫)

村上春樹意味がなければスイングはない*1から少しメモ。


(前略)僕はいわゆるJポップの歌詞とか、連続テレビ・ドラマの台詞とか、朝日・読売をはじめとする全国紙の記事文体なんかは、一種の「制度言語」だと常日頃認識している(もちろんすべてがそうだと決めつけているわけではない。大部分について言えば、ということだ)。だからそれらを正面からとりあげていちいち批判する気もしないし、また批判しても意味はないだろうと思っている。それらはあくまで関係者間の取り決め、了解によって成立しているひとつの制度であって、制度という軸との相関関係によってしか批評できないもの、批評のしようがないものである。自立したテキストとして批評することはほとんど不可能に近い。もっとひらたく言えば、内側にはまりこんでいる人には自明のこととしてすらっと取り込めるし、はまりこんでいない人には「なんかよくわからん」という世界である。マーケットの規模はマスだけれど、にもかかわらず質的にはローカルであるという、不思議にねじれた世界だ。(「スガシカオの柔らかなカオス」、p.239)
話は全然関係ないが、最近テーブル・ビーツのスープを作った*2。何故ビーツの缶詰を買ってきてそのスープを作ったのかといえば、鈴木清剛の短篇小説で「ビーツとリコッタチーズのパスタ」を作るのを思い出したからだ(「パーマネントボンボン」)。そこではビーツは「ロシアの赤かぶ」と呼ばれているが(p.133)。
消滅飛行機雲 (新潮文庫)

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