「失われた10年」?

Via http://d.hatena.ne.jp/nessko/20120922/p1

金平茂紀*1「日本のテレビ局はなぜ反原発の動きを報じ損ねたのか?」http://www.asahi.com/digital/mediareport/TKY201209070270.html


曰く、


これまで日本のテレビは、ごく概括的に言えば、原発について異議申し立てをする集会やデモに対して実に冷淡だった。ほとんど取材さえしていなかった局もあるのが現実だった。スリーマイル島原発事故(1979年3月)やチェルノブイリ原発事故(86年4月)の直後には、日本でも市民らが活発に反原発運動を展開したが、バブル経済の絶頂期を経て、それらの「警鐘」は忘れ去られていった。99年9月の東海村JCO臨界事故直後にもそれなりの市民らの動きはあったのだ。だが日本経済の景気後退から「失われた10年」といわれる局面に入って、原発に対する市民からの異議申し立て報道は、徐々に消えていった。とりわけ〈3・11〉以前の10年余りの時期、反原発脱原発運動はマスメディアから、とりわけテレビからはほぼ完全に消え去っていた。
平氏によると、「冷淡」なのは「反原発脱原発運動」に対してだけでなく、「社会運動」一般に対してであるという;

僕が個人的に抱いている悔悟を敢えて言えば、今の日本のテレビ報道の現場を指揮しているデスク、キャップ、編集長クラスに、「失われた10年」のなかで刷り込まれてしまった大衆運動軽視、蔑視の感覚に色濃く影響された世代が多いということがある。換言すると、スリーマイル島チェルノブイリ、JCO事故直後に報じてきた異議申し立ての動きの価値を、これらの世代に継承できなかった僕らの世代の責任ということになる。

 後続世代の大衆運動、社会的な異議申し立てに対するアレルギー、嫌悪感、当事者性の欠如には凄まじいものがある。デモや社会運動という語にネガティブな価値観しか見出せなくなっているのだ。これはおそらく日本的な特殊現象であり、かなり異様な事態である。欧米では、言うまでもなくデモは権利である。

 だがこういう僕らの同僚たちが「アラブの春」だの、エジプトのタハリール広場の大衆行動については、ポジティブな評価を与えているのである。ニューヨークのウォール街占拠運動にさえ「あれは格差拡大に反対する99%の異議申し立てだ」と理解を示す。だが自分たちの足元で人々が繰り出すと、そこに連続性を見出すどころか、「距離」を置く同僚・後輩たちがいるという冷徹な現実がある。

ただここでいう「アレルギー」や「嫌悪感」が1990年代から21世紀初頭にかけての「失われた10年」に醸成されていったものかどうかというのは疑問。やはりポスト1960年代において、徐々に熟成されていったものと解すべきなのではないか。
「6月29日に僕らは首相官邸前で大飯原発の再稼働反対デモの取材をしていたが、「お前らは取材してもどうせ放送なんかしないのだろう」「帰れ!」という言葉を浴びた」。これは「日本のマスメディアっていうのは、わりと中国のそれに近いのかなあ」という所以?