郡山(メモ)

山口昌男『「知」 の自由人たち 近代日本・市井のアカデミー発掘』日本放送出版協会、1997


NHK教育TV『市民大学講座』のテキスト。その翌年には「NHKライブラリー」として出版されているようだ。
ここで採り上げられている人々の名前を列挙しておく。横山松三郎、武田斐三郎、橘耕斎、矢野二郎、光妙寺三郎、佐久間貞一、原胤昭、山中共古坪井正五郎*1、林若樹、清水晴風、竹内久一、大槻如電石井研堂三田平凡寺斎藤昌三内田魯庵
ここでメモしておきたいのは、『明治事物起源』の著者である石井研堂の出身地、郡山の特異性について;


戊辰戦争時、二本松藩は奥羽列藩同盟に属する諸藩のなかで、会津とともに佐幕主義を貫いて新政府軍に抗し、ついには落城降伏に到った藩として知られている。しかし、その領内とはいえかなり離れている郡山村では、少し事情が違った。二本松落城直後の慶応四年(明治元年・一八六八)八月、新政府軍が一時的に引いたあとに進出してきた会津藩兵が、攪乱を狙って火を放ったので、町の大半が焼けてしまったのである。そのため郡山の人々には、むしろ会津によって被害を被ったとの意識が残ることになった。そしてこれとは逆に、安積原・大槻原の開拓や安積疎水工事などを通じて、郡山の復興を推進したのは明治新政府であった。郡山は文明開化の恩恵に浴したのである。のち明治四四年(一九一一)には、安積疎水事業推進の恩に報じるため、郡山市内に大久保利通の碑が建てられた。東北地方で薩長の人間の碑が立つ、おそらく唯一の場所ではないか。(p.171)
会津藩」についてはhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050816 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090917/1253158517も。