故郷は異郷?

承前*1

休戦 (岩波文庫)

休戦 (岩波文庫)

プリーモ・レーヴィの『休戦』が最後の、いよいよ伊太利に帰国する段になって、それまでとは一転して、重い鬱的な雰囲気に覆われてしまうこと。勿論「アウシュヴィッツの毒」のせいではあろう。しかしそれは「帰還者」一般の問題にも関わっている。一言で言えば、離郷者は故郷の時間の流れから切断されているということである。レーヴィも註において以下のように述べている;


いかなる不在にも(それが部分的でも、無意識的でも)、待つ側は不可避的に、並べ直しと慣れで応じる。これは帰還者の永遠の問題でもある。『オデュッセイア』のことを考えればいいし、最近の時代では、あらゆる前線から帰還した何百万人の若者が、精神の均衡、仕事、愛情の網の目を、苦しみながら探し求めたことを思うべきである。またマンゾーニ*2の『いいなずけ』に登場するロレンツォ・トラマリーノが平野で様々な体験をした後、村に帰ると、「垣根」に、つまり雑草が生いしげった菜園に出くわしたことを考えればいいし、また荒れはてたぶどう畑が、レンツォや読者の心に、無情な時の流れを感じさせたことも考慮すべきである。(p.353)
「帰還者」についての現象学的考察としては、やはりアルフレート・シュッツの”The Homecomer”を挙げなければならないだろう。また石川美子『旅のエクリチュール*3を再度マークしておく。
Collected Papers II: Studies in Social Theory (Phaenomenologica)

Collected Papers II: Studies in Social Theory (Phaenomenologica)

旅のエクリチュール

旅のエクリチュール

さて新藤兼人の遺作『一枚のハガキ』*4を観る。これも「帰還者」を巡る物語。というか「帰還」した者と「帰還」できなかった者の物語。松山啓太(豊川悦司)は無事に故郷に「帰還」したものの、家は、留守中に妻と父親ができてしまい大阪に駆け落ちしてしまったために、空だった。森川定造(六平直政)は〈骨壺〉となって「帰還」する。
一枚のハガキ【DVD】

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