昨年末に上橋菜穂子『隣のアボリジニ』を読んだのだが*1、濠太剌利アボリジニということだと、新保満『野生と文明 オーストラリア原住民の間で』(未来社、1979)を持っていたのだった。その中で、マレー人が17世紀には既に北濠太剌利に到達し、アボリジニと接触していたという話があった。英国人がやって来るのは19世紀初期。
現インドネシアのセレベス島にマカサーという町がある。ここから、マレー人たちが17世紀から第一次大戦まで毎冬(日本の夏)に北オーストラリアの東海岸にナマコをとりにきた。彼らはマカサンと呼ばれた。マカサンたちもアボリジニーの女を抱いて少しばかりの金を払った。けれどもそれだけではない。マカサンは、アボリジニーに丸木舟の作り方を教え、船を使っての漁撈技術を教えた。また、アボリジニーにナマコとり、ナマコの乾燥を手伝わせ、賃金を払った。そのほか、タマリンドという甘酸っぱい実のなる木をもってきてやった。よく働いた者は報酬としてマカサーにつれていってやったりもしている。
だから、アボリジニーは今でもマカサンを敬愛の念をもって記憶している。北オーストラリアの東海岸には、パーク・ペインティングで世界的に知られている。固い木の皮をはいで乾燥させ、絵をかくものである。宗教的な内容のものが多い。その中に、マカサンの絵がしばしばでてくる。子供達は今でもタマリンドの実をたべながらマカサンの話をする。(「日本人とマカサン」、pp.107-108)
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