ちゃりんこ

節電体制下の東京の夜の明るさは平時の欧州諸都市の明るさ(暗さ)と同じくらいだったと誰かが言っていた。
さて、北島は「光與影」(『城門開』*1)で、2001年に13年ぶりに戻ってきた北京と自らの子ども時代(1950年代)を比べて*2、「在児時、北京的夜晩很暗很暗、比如今至少暗一百倍」と述べている(p.1)。
さて、以前も書いたように、私は天安門事件の直後から1年間中国の田舎町に住んでいた。それ以前に中国に足を踏み入れたことはなかった。中国への第一歩として、香港から夜の飛行機で桂林に飛んだ。桂林の飛行場は市街地からかなり離れたところにあるのだが、空港からタクシーは街灯の全くない道をひたすら走る。漆黒の闇というのはこういうのをいうんだなと思った。また、時々タクシーのヘッド・ライトに道端で涼んでいる人民が浮かび上がってきて、轢いてしまうんじゃないかとびくついたりもした。というわけで、私にとって中国の第一印象は闇であった。その頃、中国では自転車は夜全員無灯火だった。というか、そもそも自転車にライト(前輪との摩擦で発電するあれ)が付いていなかった。それに慣れたというわけでもないが、日本に帰ってきてからも、夜無灯火でちゃりんこを転がしていて、〈国家暴力装置〉(笑)*3に絡まれたということが何回かあったのだが、そのとき思ったのは、日本の夜は十分に明るくて、それなのにライトを点けるなんてかなり眼がおかしいんじゃないかとということだった。
話は全然変わって、ちゃりんこというのが自転車(中国語でいう自行車)という意味だというのはかなり一般的であって、原動機付自転車のことを原ちゃりという。しかし、戦後暫くはちゃりんこという言葉は、掏摸・かっぱらいを指していたらしい。何時頃、ちゃりんこがかっぱらいから自転車に替わったのかはわからないが、私がかっぱらいという意味でのちゃりんこを知ったのは石川淳の短編小説であり、それを含む『天馬賦』を上述の中国滞在中に読んでいたなということを序でに思い出した。

天馬賦 (中公文庫)

天馬賦 (中公文庫)