20mSVを巡って幾つかメモ

承前*1

先ず『東京新聞』掲載の共同通信の記事;


学校放射線基準は「安全でない」 ノーベル賞受賞の米医師団

2011年5月2日 09時45分

 福島第1原発事故で政府が、福島県内の小中学校などの屋外活動制限の可否に関する放射線量の基準を、年間20ミリシーベルトを目安として設定したことに対し、米国の民間組織「社会的責任のための医師の会(PSR、本部ワシントン)」が2日までに「子供の発がんリスクを高めるもので、このレベルの被ばくを安全とみなすことはできない」との声明を発表した。

 PSRは1985年にノーベル平和賞を受賞した「核戦争防止国際医師の会」の米国内組織。

 声明は、米科学アカデミーの研究報告書を基に「放射線に安全なレベルはなく、子供や胎児はさらに影響を受けやすい」と指摘。「年間20ミリシーベルトは、子供の発がんリスクを200人に1人増加させ、このレベルでの被ばくが2年間続く場合、子供へのリスクは100人に1人となる」として「子供への放射線許容量を年間20ミリシーベルトに引き上げたのは不当なことだ」と批判した。
(共同)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011050201000196.html

また、文部科学省の言い分(河野太郎氏による);

この件に関して細野豪志首相補佐官は、「われわれが最もアドバイスを聞かなければならない原子力安全委員会は年間20mSVが適切と判断している。政府の最終判断だ」と発言しているが、本当にそうなのだろうか。

細野補佐官は、この数字は高すぎると主張していた。それに対してこの数字でいいと言っていたのは文科省の政務三役だ。文科省の政務三役の主張は、この数字を 下げると、福島県内の小学校のなかに疎開せざるを得ないものがでてくる。この状況で子供を移動させるのは、精神的な負担が大きいとして反対している。

しかし、戦時中に、子供たちは大勢、疎開した。つらいこともあったかもしれないが、命を考えれば、やむを得なかった。今回のことも、たしかに精神的につらいこともあるかもしれないが、将来の健康に被害が出かねないことを考えれば、疎開もやむを得ないのではないか。
http://taro.org/2011/04/post-991.php

日本弁護士連合会(日弁連)の反対意見書は「疎開」のストレスについても配慮したものだった筈。勿論、福島県における「コミュニティ喪失」の危険*2については(「子供」の問題ということでなく)今後真剣に考える必要がある。この場合のコミュニティは行政単位としての市町村というよりは寧ろ第一義的には(農村社会学用語でいうところの)自然村(大字或いは小学校の学区に相当する)ということになるだろう*3