金井美恵子『快適生活研究』

快適生活研究 (朝日文庫)

快適生活研究 (朝日文庫)

金井美恵子『快適生活研究』*1を読了したのは昨年(先月)の末*2


純な心
そんとく問答
よゆう通信
『古都』
隣の娘
地下室のメロディー
快適生活研究


あとがき
「嫌な人間」のカタログのように(文庫版特別インタビュー)

「快適生活研究」という短編が最後に収められているものの、緩い構成の〈長編小説〉ということもできるだろう。何しろばらばらの話が建築家の「Eさん」という強烈な臭みを持つ登場人物を軸にして、緩く繋がり始めてしまうのだ。さらに、かつての「目白四部作」(『文章教室』、『タマや』、『小春日和』、『道化師の恋』)及び『彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄』*3の登場人物たち、つまり小説家の「おばさん」、「桃子」、「花子」、「小林」*4、批評家の「中野勉」、その妻の「桜子」なども「Eさん」によって誘い出されてくる。
文章教室 (福武文庫)

文章教室 (福武文庫)

タマや (講談社文庫)

タマや (講談社文庫)

道化師の恋 (河出文庫文芸コレクション)

道化師の恋 (河出文庫文芸コレクション)

上にも記したように、短編たちを束ねてしまうのは「Eさん」という個性の力なのだが、(「Eさん」が何よりもその「個人通信」である『よゆう通信』によって表現されているように、その長文の手紙によって表現される)「あきこさん」という女性もこの連作の見所のひとつだろう。「Eさん」や「あきこさん」について、金井先生は巻末のインタヴューで

自惚れすぎているせいで、嫉妬も出来ないほど鈍感な人間になっているんです(笑)。相当人間としての深みに欠けた存在ですね。現代社会の中産階級的な場所に生息していたら誰だって見聞きするような嫌な人間が、典型的にと言うほどではないまでもカタログのように次から次へと出てきて、「あの人の物の言い方や考え方や他人に対する態度は、どうもおかしいんじゃないだろうか」と人を苛々させるような憎たらしい言い方がいくつも出てきますが、それは自己愛の表現であって、他者に対しての嫉妬からのものではありません。嫉妬というテーマとして書けば小説としての重みや深みや奥行きが出てきて、もう少しドロドロした印象のものにはなったのでしょう。ただし、嫉妬というものは権力やsh社会的な地位に対する野心があってはじめて生まれるもので、この小説の中に出てくるのは野心が権力の方向に行かない、社会的に大成功したとは言えない人たちであると同時に、まあ、決定的に他者に対する繊細な感性というものを持っていないわけですから、自己愛以外の「愛」というのには縁がないわけです。(後略)(p.279)
また、「あきこさん」の手紙、特にその「テーマを持たないまま横道に逸れていく書き方」については自分の小説の「パロディ」でもあると言っている(p.286)。「自己愛」に充ちた「Eさん」や「あきこさん」の生活が「快適生活」ということになるのだろうが、(「あきこさん」の手紙がメタ小説的な意味を有しているのと同様に)「快適生活」という言葉自体がメタ小説的な意味を有しているようだ。「あとがき」に曰く、

快適という言葉は、女性誌などを見ていると、「生活」や「住い」のなかでも、キッチンやトイレ、風呂場、冷暖房の除湿や、室内の臭気の解決、そして、身体方面の血液や汗や大小便をどう気持良く処理するかについて語られる時に使われる言葉です。
ですから、心身に快適な生活を送るためには、あらゆる家事労働が不可欠で、その家事労働が少しでも快適におこなわれるように、さまざまな消費の仕方と工夫があらゆる形で提唱されつづけるので、それは強引に附会すると、「小説」と呼ばれるものが扱う一部と完全に重なります。すぐれた小説は快適であるために排除される様々なものや人を扱うものなのです。
快適生活とは、辞書上では隣りの項目に並ぶ「外敵」や「外的」という「余計」なものを排除して暮すゆるぎなく自己満足し安定した生活のことです。快適に似た「安楽」という言葉が「椅子」と結びつけられるだけでなく「死」と結びつく時、快適は「――な病室」になるわけです。(p.275)
『快適生活研究』の続篇はあるのかどうか。「中野勉」夫妻にはこれから何か一波瀾ありそうな感じがする。それは夫婦関係の隙間ということだけではなく、妻「桜子」が大学の同級生だった「藤原舞」の小説集を読んだことをきっかけに突如〈作家〉として目覚めるという仕方で「地下室のメロディー」が終わっているということである。また、この短編が(遠いのか近いのかわからないが)未来からの回想として語られていることがぽろっと一瞬露呈してしまう――「後になって桜子は、あの日に何かが変わったのだと考えた」(p.248)。勿論、『快適生活研究』は「Eさん」や「あきこさん」を初めとして、中高年がばたばたと恋愛・結婚してしまう話としてベタな仕方で読むことも可能ではある。
蓮實重彦エピゴーネンを自認する「中野勉」が「あきこさん」によって丸谷才一のものらしき書評文を自分の文章だと誤認され・賞賛されてしまうという本全体のオチはやはり記しておこう。ネタバレでも構うものか。そのため、大爆笑しながら読了したのだった。

*1:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101218/1292647576

*2:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101229/1293590871

*3:このうち、『小春日和』と『彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄』についてはhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070502/1178036988で言及している。

*4:この2人は間接的な登場。