サウディ現代アート


火曜日、Nabatt: A Sense of Being—Contemporary Art from Saudi Arabiaを観に、虹口の上海多倫現代美術館*1へ行く。サウディ・アラビアのLulwah王女が自らキューレーションを務める。絵画、写真、インスタレーションなど130点。いや、認識不足だった。サウディ・アラビアと現代アートというのは(北朝鮮現代アートが結びつかないように)私の中では意外な結びつきだったのだ。イスラーム的な世界観をダイレクトに表現している作品(例えば、巡礼者を題材にしたReen al-Faisalの写真作品)もあれば、コンピュータのマザー・ボードをカンヴァスに貼り付けた絵画作品のように現代テクノロジーに向き合った作品もある*2。それから、イスラームでは一般に偶像崇拝禁止の立場から具象画が抑圧されるが、サウディではそれが特に徹底していると聞いていた。例えば、故大塚和夫先生*3は自らのサウディ留学時代の体験について以下のように記している;


ある日、われわれ日本人留学生はいつものように朝に寮を出て、歩いて五分ほどのところにあった大学に向かっていた。そして、大学近くの路傍に絵と文字の入った看板を目にした。絵の部分は背景には火事が、前景には子供を抱いて逃げ惑う母親などが描かれていた。いわば「火の用心」を呼びかける看板であった。
私のいう「事件」がおきたのはその数日後であった。通学中にふとその看板をみると、なんと母子の顔の部分が黒ペンキのようなもので塗りつぶされていた。そして、その下にやはり黒で、「ハラーム・アッ=スーラ」というアラビア語が大きく書かれていた。ハラームというアラビア語は「禁じられたもの」、とくにシャリーアイスラーム法)で禁止されている物事を意味する。そしてスーラとは、写真や絵画などをさす。つまり黒塗料を用いた者は、「絵画はイスラーム法で禁じられている」と主張し、それを実践するために母子の顔を塗り潰したのである。(『イスラーム主義とは何か』、p.26)
ところが、今回人物写真も、所謂ベタなリアリズム近い肖像画も展示されている。また、睦み合う男女のカップルを描いた作品(Johhara al-Saudによる)があって、そこでは女性の顔がのっぺらぼうに描かれていたが、これは宗教的配慮というよりは藝術的な効果への配慮であろう。
イスラーム主義とは何か (岩波新書 新赤版 (885))

イスラーム主義とは何か (岩波新書 新赤版 (885))

なお、展覧会のタイトルであるNabattについては、

The word NABATT, has two different meanings, “extracting water from the ground” and “to obtain the sense of one word from another word”, this clearly establishes its folkloric literary values.
Nabatti Poetry is a creative expression and a medium open to all in Saudi Arabia. It deals with all the themes dear to Arabic classical poetry but is free from any formality and constraint. Nabatti poetry’s characteristic traits are the simple style and the combination of poetic artistry with direct communication. It allowed the inhabitants of the Arabian Peninsula to discuss their sense of place, identity and existence within diverse ethnic and complex societies, uniting and establishing a nation with Makkah as its centre.
と説明されている。

それから某所で、8月に少年ナイフの前座を務めたBoojii*4の『害羞者(Reserved)』とトム・ウェイツReal Goneを買う。

Real Gone

Real Gone


*1:http://www.duolunmoma.org/

*2:楊博斐「沙特藝術群展:焦渇的存在矛盾」(『TimeOut上海』2010年10月号、p.78)は密集した存在者たちが〈神〉というひとつの方向を目指すというイスラーム的世界観を指摘している。彼が例に挙げているのは、Reen Al Faisalの密集した巡礼者たちが一斉にメッカというひとつの方向を見つめている作品。入り口近くに展示されていたBandar Alrumaihの巨大な壁画は様々な人や植物が描かれているが、絵画全体が上方(神)を指向している。

*3:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090507/1241673713

*4:See http://www.douban.com/artist/boojii/ Also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100804/1280915125 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100824/1282628526