森毅氏死す

昨年炊事中に大火傷したが*1
京都新聞』の記事;


森毅氏死去
京都大名誉教授、数学者印刷用画面を開く

数学者、評論家で独自の教育、人生論で知られる京都大名誉教授の森毅(もり・つよし)氏が24日午後7時30分、敗血症性ショックのため大阪府寝屋川市の病院で死去していたことが25日に分かった。82歳。東京都出身。自宅は八幡市西山和気6の11。葬儀・告別式は行わない。

 東京・浅草に生まれ大阪で育ち、第三高等学校(旧京大教養部)から東京大理学部数学科卒業。1957年に京大教養部助教授、71年から91年まで教授。専門は位相空間論。

 宝塚や歌舞伎に凝り、芸能界入りを迷った末に数学の道を選ぶ。「一刀斎」を名乗り、教育から社会、芸能まで幅広く評論、エッセー、講演、ラジオやテレビで活躍した。「ぼちぼちいこか」「ええかげんで、いいんや」などの言葉に象徴される力みのない生き方に共感が集まった。

 京大でも「名物教員」として名をはせ、退職後も評論や執筆に精力を注いだが、昨年2月に自宅で料理中に大やけどを負い、入院生活が続いていた。

 文学と哲学に造詣が深く、鶴見俊輔さんや故井上ひさしさんと「ちくま文学の森」を編集。81年から94年まで京都新聞夕刊「現代のことば」を執筆した。著書は「年をとるのが愉(たの)しくなる本」「元気がなくてもええやんか」「位相のこころ」「数学受験術指南」など多数。

【 2010年07月26日 14時49分 】
http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20100725000086

また、『産経』の記事;

森毅氏死去 コメンテーターとして活躍、ジーンズで教壇にたった“名物教授”
2010.7.25 21:12


「ほのぼのとした口調で率直。核心をついた発言」。24日死去した森毅氏を知る人は、数学や教育にとどまらず、時事問題、文化など、多岐にわたる分野で語った発言の数々をそう称する。京大教授時代は、ジーンズ姿で教壇にたち“名物教授”として多くの学生に影響を与えた。

 歯にきぬ着せぬ発言の一方で、偏らずしなやかな物の見方は「やわらか頭」と呼ばれ注目を集め続けた。福田康夫氏が平成19年に首相に就任した際の内閣を「モノクロ内閣」と命名。「福田内閣誕生で何となくこれまでの政治の流れが変わり、『小泉劇場・ライオンキング』といった派手で面白い政治は終わった」と厳しく突き放した。

 数学の秀才でありながら、枠にはめられるのを嫌った。論文を数本しか書かないなど教授らしくない一面もあり「論文は苦手。考えることは好きやけど、人間のアイデアなんてたいしたことはない」と飄々と語っていた。

 京大教授時代は、大学の中庭で講義をするなどユニークな授業で有名に。森氏のゼミを受講していたという京都市の男性(41)は「好奇心をそのまま人の形にしたような人。いつでもさまざまな分野に積極的に首をつっこんでいた」。

 テレビやCMなどで共演した元法政大教授の田嶋陽子さん(69)は「収録の合間、奥様と仲良く手をつないで散歩していた姿が印象的でした」。また、講演でもよく一緒になったといい「駅の売店でお寿(す)司(し)を買おうとしたら、ホームにもあると教えてくれた。ところがない。いつもおおらかな先生が階段を一段飛ばしで下りて売店まで買いに行ってくださった」と懐かしみ、森氏の死を悼んだ。
http://sankei.jp.msn.com/obituary/100725/obt1007252114003-n1.htm

「敗血症性ショック」って、やはりあの火傷によるものだろうか。
森さんの本で最後に読んだのは『森毅の学問のススメ』という1985年に別のタイトルで刊行された対談集の文庫になった奴。この対談を仕切っていたのは大学院生時代の浅田彰。蘇聯が崩壊した前後のことだったが、socialismを「社会主義」じゃなくて「社交主義」って訳してみたらどうよと書いていたが、その後「社交主義」云々というタイトルの本が出ているんだね。
森毅の学問のススメ (ちくま文庫)

森毅の学問のススメ (ちくま文庫)