大森と海苔など

承前*1

池田大作関連で、大森と海苔についてちょっと調べてみた。大森*2には「大森海苔のふるさと館」*3というのが昨年4月にオープンしたようだ。See


http://blog.goo.ne.jp/hkanda_1933/e/96041d2bf28ac344c70727576580a357
http://blog.goo.ne.jp/hkanda_1933/e/3d6b4e836253795c2dcd5af78a1de9c7
http://blog.goo.ne.jp/hkanda_1933/e/70a4847ae81582bfafee6707c3967864
http://blog.goo.ne.jp/hkanda_1933/e/8e2b89f6034e56bf8f79d4ec72c4ba11
また、


http://ekojin.com/?p=560


http://www.marudaiomori.com/link/m_12c..htmlは海苔採りの歴史について。「丸大大森」というのは東京ではなく大阪の海苔問屋。

さて、


池田を朝鮮人だと言うのが駄目だというのなら、城内実レイシストと呼ぶのも駄目なのでは?
本人は、そう名乗ってはいないはずだろう。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090727/1248634457#c1248665036
というコメント。これに対しては、

OK 2009/07/27 13:31
gingin1234さん、それは評価と事実の違いですよ。
gingin1234はパプアニューギニア人→事実と違えばウソになる。
gingin1234はバカ→評価の問題。根拠があれば許される(この例は根拠があるから正当)
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090727/1248634457#c1248669081
という意見。最後の「評価」については判断を留保しますが、そんなものでしょう。
例えば、


城内実は日本人である


は真か偽のどちらかです*4。それに対して、


城内実レイシストである


は真/偽という基準で判断することができません。それは適切/不適切、上手い/下手、面白い/つまらない、等々の基準で判断すべきものです。この言説の是非、或いは「レイシスト」という形容の是非は、それが面白い言説を生成し、私たちの思考や認識の拡張にどれだけ貢献しているのかということで評価されるべきでしょう。
ここでは、厳密な学問的言説は想定していませんが、学問的言説における概念構成については、取り敢えず(基本文献として)ウェーバーの「客観性」論文とかをご参照ください。

社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」 (岩波文庫)

社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」 (岩波文庫)

最後に重要なことをもう一つ申し上げておけば、方法と実在を混同してはならないということです。

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090727/1248634457

*2:私の祖父も大森に住んでいたことがあったようだが、海岸部ではなく、京浜東北線の方。

*3:http://www.city.ota.tokyo.jp/seikatsu/manabu/hakubutsukan/kyoudohakubutsukan_furusatokan/index.html

*4:日本人をどう定義するのかという問題は脇に置いておきます。