http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/20090611
曰く、「マジメさとは、ある「正しさ」を固定して、それを無防備かつ暴力的に信じ込むことだ」。たしかに。
ところで、「正しさ」というのは飽くまでも観念的な存在であり、現実は「正し」くない。逆に言えば、「正しさ」を追求すればするほど「正しさ」は逃れてしまう*1。
アレントの『革命について』を読めば、そこでは全体主義を準備した系譜として、ルソー*2→仏蘭西革命(ロベスピエール)→ボルシェヴィズムという線が引かれているかのようにも見える。たしかに、全体主義が私たちの身体的生命だけでなく、人格や実存にまで破壊的な影響を及ぼすことは、ルソーの影響を抜きにしては理解しづらい。勿論、左だけでなく右の全体主義も私たちの人格を破壊するのであって、右におけるルソー的存在を思考することは必須であろう。それはともかくとして、ルソーの重要さ(罪状)は、自己の共同体(国家)への全面的譲渡(alienation)による一般意志の定立という社会契約論に関わる。注意しなければいけないのは、これが共同体に対する自己の従属を意味しているだけではないということだ。ルソーによれば、譲渡=社会契約によって自己は全く損なわれない。自己の本来性は維持され続けるのだ。これはどういうことなのか理解しづらいが、これ以降一般意志に同化した自己こそが本来的な自己とされるということはわかる。一般意志というのは飽くまでも理念であって、現実に存在するわけではないし、可視的なものでもない。では、どうやって可視化されるのか。最も安易な仕方は、外敵の設定、戦争によってであろう。或いは、国内(共同体内)において、一般意志と対立する特殊意志(非国民、反革命分子など)を摘発し・吊し上げることによって。一般意志と特殊意志との戦争は自己の内面においても展開される。一般意志に同化してそのエージェントとなった自己とエゴイズムに塗れた特殊意志としての自己。「マジメ」が関わってくるのはこの地点においてである。真面目で良心的な人ほど残虐な粛清者・虐殺者になりがちなのは(一般意志からの)逸脱への寛容度が低いからだし、タスクへのコミットメントが高いからだろからだが、さらに深刻なのは「マジメ」が全体主義的暴走のブレーキを破壊するように機能するということである。これはちょっと違うよねとかやりすぎじゃない? といった疑問の芽生えそれ自体が「フマジメ」として、或いは特殊意志(内なる反革命性!?)の表れとして棄却され、自ら糾弾される。かくして全体主義の暴走は止まらず、屍体が累積される*3。
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先反省的な「生き生きとした現在」を、反省によって捉えようとして、フッサールは反省の諸々の仕方を試み、結局、「生き生きとした現在」の構造を文節化しえたのであったが、ただその機能する自我の生動性だけはどうしても反省によって捉ええないという壁に出会ったわけである。先反省的事態の反省不可能性は、この場合、反省が措定的反省である限り、反省対象はすでに時間化してしまった対象であり、もはやもとの生き生きとしたままの原初的出来事としての性格を失ってしまうところにある。ところが反省の視向からたえず流れてゆくこの生動性は、まさしく反省そのものの自我機能の生動性として、対象化されえない仕方でそこに臨現的に働いている。このようにして、「生き生きとした現在」を生き生きとした相で捉えようとする「徹底化された反省」は、ついに絶対に対象化されえず、機能することにおいてのみ自己を自由として非措定的に「私にできる」として意識してゆく自己意識を、いわば、まさにそれが反省化されえないという反省の挫折をとおして探り当てているのである。いわゆる「反省の循環現象」と呼ばれているもの、つまり反省は説明しようとするものを前提としているという反省論のアポリアを、その極限にまで歩みきってゆくことによって、反省は自らの意識の機能そのものの自己意識を、対象としてではなく、自らの内に、いわば自らの背面に見出したわけである。(『現代哲学――現象学と解釈学』第6章「現代哲学の反省概念」、pp.193-194)
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*1:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090615/1245043410
*2:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070522/1179863073 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070713/1184301731 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080918/1221675301 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081205/1228406152 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090518/1242584743
*3:古茂田宏「ハンナ・アーレントの革命論」 (in 吉田傑俊、佐藤和夫、尾関周二編『アーレントとマルクス』大月書店、2003、pp.16-46)、とくにpp.28-31を参照した。