動物化の一端?

承前*1

「国籍法」問題に関して、取り敢えず、


http://www.yhlee.org/diary/?date=20081130
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20081203/1228307369
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20081204/1228400540
http://d.hatena.ne.jp/macska/20081130/p1
http://d.hatena.ne.jp/macska/20081201/p1
http://d.hatena.ne.jp/macska/20081202/p2
http://d.hatena.ne.jp/macska/20081202/p1
http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/56014650.html


をメモしておく。
さて、その議論の中で(父子関係に関する)DNA鑑定云々というのが出てきているようだ。これについては、〈人類学的普遍〉ということに絡んでちょっと思うことがある。人間とそれ以外の獣を区別する指標として、人間だけが〈父〉を持つということがある。この場合の〈父〉は生物学的には基礎づけられない。〈父〉とは生物学的(遺伝学的)連続性には還元されない意味的・社会学的な存在なのだ。生物学的な存在としてのgenitor(精子提供者)と社会学的な存在としてのfatherは概念的に区別しなければならないということは、例えば家族社会学の授業なんかであれば、4月中にでも言及されている筈なのでは? それで、DNA鑑定云々という議論に関して、これって〈人類学的普遍〉への挑戦? 最近流行りの動物化の一環? などと不図思ったのだ。
このgenitorとfatherの区別というのはラカン的な精神分析におけるpenis(陰茎)とphallus(男根)の区別ともパラレルなのではないかと思うが、川島武宜タルコット・パーソンズラカンの〈父〉論を比較している佐々木孝次『父親とは何か』を取り敢えずマークしておく。

父親とは何か―その意味とあり方 (講談社現代新書 (643))

父親とは何か―その意味とあり方 (講談社現代新書 (643))

なお、「国籍」について、そもそも属地主義に転換せよという議論が何故出てこないのか、そちらの方が不思議*2