琳派

日曜日は、上野の東京国立博物館*1に『尾形光琳生誕350周年記念 大琳派展−−継承と変奏−−』*2を観に行く。最初妻が筑波に紅葉を見に行きたいとか言ったのだが、起きるのが遅かったので却下。雨混じりの天気とはいえ、上野公園の紅葉も楽しんだんじゃないかと思う。
琳派については、昨年帰国したときに出光美術館で『乾山の芸術と光琳』を観たのだが*3、今回のは(最終日でもあったが)本阿弥光悦俵屋宗達尾形光琳尾形乾山酒井抱一、鈴木其一の作品を一挙に展示したもの。特に、酒井抱一の弟子である鈴木其一については殆ど知らなかったので、今回纏めて観ることができて、嬉しかった。これらの人々の代表作はほぼ網羅しているといってもいいのだが、特筆すべきこととしては、俵屋宗達尾形光琳酒井抱一、鈴木其一の「風神雷神図」を並べるなど、琳派の継承性とそれぞれの差異を可視化していることだろう。4つの「風神雷神図」を観て、やはり琳派の歴史は俵屋宗達のダイナミズムが失われて、こじんまりとしたスタティックなものになってゆく歴史でもあったのかとも思った。ただ、私にとっていちばん面白いと思ったのは酒井抱一で、家督を継げなかった大名の息子というバイオグラフィもさることながら、尾形光琳の(スタティックな)装飾性を継承しつつ、浮世絵的な筆致と構図の作品も描き、さらに宗達的なダイナミズムも受動的なイメージというかたちで(例えば、「夏秋草図屏風」を観よ)恢復している。ところで、この人たちは現代でいえばアーティストというよりは、インテリア・デザイナー(屏風や襖)、アクセサリーのデザイナー(硯箱や印籠)、フォント・デザイナー(本阿弥光悦の場合)であって、その作品たちも本来は生活の中でこそ味わうべきなのであろう。それを美術館という抽象的な空間で鑑賞することの意味も一考するに値するだろう。この展覧会の図録は優れたものであるが、ひとつ難を言えば、5人の人たちの詳しいバイオグラフィがないということか。
それから、谷中方面に歩いて、「喫茶谷中ボッサ」という店で休憩。ちょうど、サブリナさんという伯剌西爾人女性のライヴをやっていた。ボサ・ノヴァ、そしてBPM。さらに谷中霊園を横切って、日暮里駅へ。