角力/大麻など

『朝日』の記事なり;


理事長部屋…まさか 露鵬白露山から大麻反応
2008年9月3日0時1分


 角界が恐れていたことが2日、現実となった。日本相撲協会が関取衆を対象に抜き打ちで行った尿検査で、ロシア出身の露鵬大嶽部屋)と白露山北の湖部屋)から大麻の陽性反応が出た。秋場所の初日まで2週間足らず。元若ノ鵬容疑者の大麻事件に続く薬物汚染の捜査は理事長の部屋も直撃した。

 抜き打ちの尿検査は極秘で準備が進められた。

 そこまで徹底したのは、「身内に甘い」と言われる角界が行う検査で世間を納得させるには、「厳しさが必要」と再発防止検討委が判断したからだ。

 相撲協会は、元若ノ鵬容疑者の逮捕の後、外国出身力士に師匠や理事らが事情聴取。「関係ない」と口をそろえた本人たちの言葉を信じていた。それを公に証明するのがこの検査だったが、皮肉にも角界に潜む疑惑を逆にあぶり出した。

 不祥事が相次ぎながらこれまで責任の所在を明らかにしてこなかった北の湖理事長も、今度ばかりはがけっぷちに立たされた。

 白露山は、理事長が兄弟弟子だった前二十山親方(元大関北天佑)の病死により、部屋に引き取った力士だ。もしも薬物使用が完全に証明されれば、協会のトップとしての立場とともに、師匠としての管理責任も重い。

 2日夜に記者会見した伊勢ノ海理事(元関脇藤ノ川)は「本当に残念。我々は堂々と胸を張りたかった」と疲れ切った表情で話した。力士の言葉も信用できない中で、角界はまた一つ大きな課題を背負い込んだ。(竹園隆浩)
http://www.asahi.com/national/update/0902/TKY200809020359.html

これはhttp://d.hatena.ne.jp/lever_building/20080902#p1で知ったのだが、その中の「ただたんなる 違法行為でしかない」ということについては、デリダによる法と正義の区別の議論*1デリダの『法の力』、Deconstruction in a Nutshell: A Conversation with Jacques Derrida(Edited by John D. Caputo)、守中高明『法』*2とかをマークしておく。
法の力 (叢書・ウニベルシタス)

法の力 (叢書・ウニベルシタス)

Deconstruction in a Nutshell: A Conversation with Jacques Derrida (Perspectives in Continental Philosophy)

Deconstruction in a Nutshell: A Conversation with Jacques Derrida (Perspectives in Continental Philosophy)

法 (思考のフロンティア)

法 (思考のフロンティア)

また、

マリファナが いまの にほんの 法律で 禁止されているのは、はたち未満の ひとに さけや たばこが 禁じられているのに にています。18さいや 19さいの ひとが おさけを のんだり たばこを すったからといって、べつに なんの もんだいも ありません。もし、こどもが おさけを のむのが もんだいなのだとしたら、おとなが おさけを のむことも まったく おなじに もんだいであるはずなのです。しかも じっさい、ほとんどの 高校生は おさけぐらい のんだことあるだろうし、たばこを すう おとなの ほとんどは こどものうちから すってるわけです。しかし、なぜ それは 法律で 禁じられているのか。その こたえは かんたんなことで、ずばり ケーサツの ためです。

 ケーサツは 違法状態を さだめる(定義する)ことによって、はじめて うごくことが できます。まあ、これは タテマエ上の はなしであって、じっさいは オマワリ自体が 非合法な とりしらべや 職務質問、被疑者への 暴行を はたらいているのは 日常茶飯では あります。しかし、ここで もんだいにしたいのは、ケーサツによる 《合法的な》 暴力です。違法状態が さだめられれ、その 違反者を とりしまる という 名目を あたえられることによって、ケーサツによる 拉致監禁・通行妨害・プライバシー侵害といった 《合法的な》 暴力は、「正当」の よそおいを まとうことが できるのです。

 こどもが さけや たばこを たしなむことを 禁止されているのは、ケーサツが それを 口実にして こどもたちの 行動や 態度に いいがかりを つけ 補導したりなんかして 管理できるように するためです。そのほかに りゆうなんて ありません。そういえば、ケーサツだけではなく、がっこうの せんせいがたも 未成年の たばこが ほうりつで 禁止されているのを いいことに、こどもたちに いんねんを つけたりしてますね。体育館の うらで こっそり つつましく たばこを すっただけで 停学のうえに 反省文だなんて あんまりです。学習権の 侵害です。

これについては、経営学的に思考すべきだろう。警察は政府機関であり官僚組織だが、〈市場〉に無関係ではない。特に昨今のような財政難が云々されている時代には、需要がないということになったら、警察だって予算や人員の削減を突きつけられるだろう。官僚組織は自らの組織を温存し、かつ自らの成員を(退職後も含めて)食わしていかなければならない。法律で禁止された事柄が増えるというのは、それだけ警察の市場(需要)が増えるということなのだ。同様に、巷の最近治安が悪くなってきたぞ言説もかなりの部分、マーケティング言説であると解釈しなければならない*3。このことに関して、取り敢えず最近言及した大村英昭先生の「空転する世界――システム外無根拠性ということ――」*4をマークしておく。
文明としてのネットワーク

文明としてのネットワーク

角力については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070202/1170416965http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070830/1188468360http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080116/1200506920http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080226/1204000470とか。ところで、悪魔が人間目線の発言をしてはいけない。もっとこの世の〈副社長〉としての自覚を持っていただきたい。
また、大麻については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070922/1190389988とかhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071206/1196969656とか。