「ストリートビュー」とか

ストリートビュー」っていうのが話題になっている。私はまだ試していないが。ただ、私の日本の実家は公道には面していないので、取り敢えず関係ないか。この「ストリートビュー」について、きしどんが書いている;


グーグルのストリートビュー見ててなんかちょっとなるほどなあと思った。管理社会って楽しいんだな。管理社会ってどうやって実現するかっていうと、ビッグブラザーが現れたり、全能のスーパーコンピューターが暴走したり(笑)で実現するんじゃないんだ。みんなが心から待ち望んで管理社会が到来するんだな。だって、みんな自分のプライバシーは尊重してほしいけど、他人のプライバシーは侵害したいんだよな、自分ちは見られたくないけど、他人の家は見たい。無数の「自分ちは見られたくないけど他人の家は見たい」がつながって、ストリートビューになってるわけだ。みんな、自分の情報は知られたくないけど、他人の情報は知りたい。だって他人の情報を知るのって楽しいやん? で、実は人間って、この「自分の情報知られたくない」気持ちよりも「他人の情報を知りたい」っていう気持ちの方がはるかに強かったんだ。それで、自分のプライバシー侵害をちょっと我慢してでも他人のプライバシーを侵害する快楽に負けちゃって、で、気がつくと自分の家が全世界に丸見え。でも自分以外全員の家も丸見え。楽しいなあ。
http://sociologbook.net/log/200808.html#eid305
ところで、「ストリートビュー」という奴からプライヴァシーを守ることについて思いついたのだけれど、画像に〈見ては(見せては)いけない〉もの*1が写っていれば、Googleとしてもそのまま見せるわけにはいかないんじゃないか。ということは、〈見ては(見せては)いけない〉ものをGoogleに見せることによって、自分のプライヴァシーは(公には)見られないことになる?
ストリートビュー」に絡んでの記事だが、Arisanが


女性 「有用性」への拘り
男性 「有用性」からの自由


というふうに、「欲望にまつわる性差、ジェンダー差」を論じている*2。しかし、ちょっと安易な一般化なのではないかと思う。少なくとも、さらに身体性や感覚の問題*3を絡めて考察されるべきだろう。なお、「少女」的(ガーリー)なものについて、


「少女」的なものというのは、独特な時間感覚に関わっているようだ。少なくとも、或る1つのテロスによって強力に構造化された時間ではない。ここで、時間に対する主要な態度は「何となくやり過ご」すということになろう。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070502/1178036988
と書いたことがあるのを思い出した。