定義は事後的にやってくる?

承前*1

Skelita_vergberさん曰く、


ワタシもsumitaさんと同じように、「何が猥褻なのかを定義する権限は警察が有しているのだということを改めて示した」という感想をまず持った。だけどその『定義』についてはまったく言及されないし、それを言及することはこれまでもなかったし、これからもないだろう。
おそらく「家宅捜査」されたビデオ倫理協会も、「どうしてウチだけが捜査され、他のメーカーや自主規制の団体は捜査されないんだ」って怒っているように思うが、そんなことはいえないんだろうなぁ。さらに勝手な空想だけど、実際のところ、捜査する側の警察だって、何を持って「猥雑」なのか?について問われたら、明確な基準を示せるかどうかはわからないだろうと思う。むしろ捜査する側の趣味嗜好が反映されていないだろうか。
http://blog.livedoor.jp/skeltia_vergber/archives/50336545.html
これに関連して、

 いまになって考えるに、競技というのは、程度の差こそあれ、ルールの運営者たる審判がルール自体の不透明さを補いながらなんとかやりくりされているものなのかもしれない。明文化された規定が少なすぎれば、審判の恣意的な裁定にゆだねられる範囲が大きくなってしまう。かといって、規定を厳密に行おうとすれば、規定すべき項目が膨大にふくれあがることになるから、かえってルールは不透明になる。いずれにしたって、ルールに支配されるプレイヤーからすれば、不条理の世界である。

 「不条理」と言うのは、ルールなるものはつねに事後的にやって来る、ということである。われわれはルールに従って行動することはできない。われわれがなんらかの行動を起こしたあとになって、ルールなるものが突如しゃしゃり出てきて、「キミが今やったソレは違反行為である」と告げて去っていくのである。いつもルールは行動のあとに姿を現わす。
http://d.hatena.ne.jp/lever_building/20070610#p1

というパッセージを参照しておく。