先ずは2005年の新聞記事から;
Todd Crowell “The Confucian renaissance” http://www.atimes.com/atimes/China/GK16Ad01.html
として、2005年9月28日の孔子生誕祭が中華人民共和国建国以来最大規模であり、多くの中国共産党高級幹部が山東省曲阜の孔府へ足を運んだことを言及する。その背景を、
For most of the last century, Confucius (or Kongfuzi - Master Kong) has been under a cloud in his homeland. Everyone from late Qing dynasty reformers to revolutionary communists blamed his teaching for a host of ills, ranging from feudal oppression to economic backwardness. But recently, Beijing's leaders have begun to characterize the sage's philosophy as a national treasure that will benefit today's Chinese.
として解説する。
The latest government line is that Confucianism can serve as a moral foundation to help build a more "harmonious society" in keeping with President (and Communist Party General Secretary) Hu Jintao's efforts to address social problems such as the polarization of society and a wide spread "money first" mentality.It is little surprise that Chinese leaders are seeking to rehabilitate their country's most famous and influential thinker. In the moral void opened by the decline of Marxism and the abundance of material temptations, Confucianism can help provide the nation with a much-needed ethical anchor. And success in these endeavors would allow China's leaders to strengthen their hold on another Confucian bequest - the "mandate of heaven", or the right to rule.
というのは既に(少なくとも1980年代半ば以来)クリシェといってもいいし、さらに文化の規範的理解、文化本質主義等々の批判でさえ、ありふれたものになっているといえるか。これについては、コンパクトな本だと、ヴォーゲルの『アジア四小龍』とかがあり、本格的に批判するには、例えば(ヴォーゲルはパーソンズ門下なので)パーソンズ(及びその一派)の歴史論批判まで拡がらざるを得ないだろう。これは大事!
It is now plain that the most dynamic practitioners of capitalism at the dawn of the 21st century are to be found in Asia. More strikingly, all of them are located within what might be called a Confucian cultural zone.It is clear the success of Japan and the "Four Tigers" (Korea, Taiwan, Hong Kong and Singapore) owe much to such essential Confucian precepts as self-discipline, social harmony, strong families and a reverence for education. That has led to unprecedented - and increasingly broad-based international interest in the creed.
- 作者: エズラ・F.ヴォーゲル,Ezra F. Vogel,渡辺利夫
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1993/04
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という指摘はマークしておく。結論は、
Of all the world's great canons, Confucianism is the most practical. What concerned him most were people's relationships with one another and with the state. He also focused on social justice and good government. Ren or benevolence was the pillar of the master's thought.
という或る意味で中庸を得たものである。
Throughout history, the rigid and unthinking application of Confucian principles repeatedly produced complacent closed societies that were unable to make progress. They paid a terrible price: foreign subjugation and internal upheaval. Modern Confucians must guard against repeating such mistakes. If they succeed in adapting their time-tested heritage to contemporary challenges, Master Kong's teaching may blossom beyond East Asia to enrich all mankind in the next century.
そういえば、甘陽氏*1は最近の「中国道路:三十年輿六十年」(『読書』2007年6月号)というテクストにおいて、「中華人民共和国」という国号は「儒家社会主義共和国」を意味すると述べている。「中華」は「中華文明」を意味するが、それは「儒家為主来包容道家佛教和其他文化因素」であり、「人民共和国」は「資本的共和国」ではなく「工人、農民其他労働者為主体的全体人民的共和国」を意味すると(p.5)。
ところで、Todd Crowell氏は記事の冒頭でマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』及び中国が生き残るためには儒教を捨てなければならないと説いた陳独秀に言及する。そして、”History, of course, has proved Weber and Chen wrong.” これで思い出したのだが、最近羽入辰郎という人によるウェーバー批判及びそれによって惹き起こされた折原浩との論争を採り上げた人がいる*2。ここで述べられている事柄については改めて言及するかも知れない。さて、それに関連して、2004年に書かれた松尾匡氏の「羽入−折原論争を読んだ」*3を読んだ。
という考察は面白いのだが、ここでもウェーバーに(批判的に或いは肯定的に)言及する人たちが見逃していることが踏襲されている。ウェーバーが『プロ倫』で語ろうとしていたのは「プロテスタンティズムの倫理」と資本主義の間の因果関係ではないということである。ゲーテから言葉を借りて「選択的親和性」といっているもの、これはせいぜい相関関係であるにすぎない。
羽入のこの本は、日本の筋金入りの右派論客達が選考委員を務める山本七平賞を受賞し、羽入は右翼雑誌『Voice』で谷沢永一と対談したりなんかしているのだが、いったい右派論客達が羽入を持ち上げるのはどういうわけかということになる。
推測するに、日本の右翼的心情の人々は、『プロ倫』から「プロテスタント諸国の資本主義はまっとうな資本主義、日本の資本主義は二流の資本主義」という含意を引き出し、西欧コンプレックスにまみれた民族主義心情をえらく刺激されてきたのではないだろうか。そしてその『プロ倫』をやっつけてくれたということで喝采して、羽入を持ち上げているのではないだろうか。
だとしたらお門違いもはなはだしいということになる。
「プロテスタント諸国の資本主義はまっとうな資本主義、日本の資本主義は二流の資本主義」というウェーバー像は、大塚久雄をはじめとする日本の左翼ウェーバリアンのウェーバー像であって、ウェーバー自身ではない。ウェーバー自身の問題意識からすれば、「プロテスタンティズムの精神に毒されていない日本の資本主義は西欧よりもまっとうだ」などということになるかもしれない。
しかし羽入の文献的指摘によって傷付くのは、まさにこの右翼反西欧近代のウェーバーなのである。日本の左翼ウェーバリアンのウェーバーは、これによってはいささかも傷付かない。羽入が書いている通り、大塚はウェーバーが引用しなかったフランクリンの文章を見つけて、こんないい文章がある、なんで引用しなかったのだと言っているくらいである。かえって羽入によって強化されるくらいなのだ。
それゆえ山本七平賞選考委員の紳士諸氏は、七平先生の遺志をひきつぐならば、羽入から山本七平賞を剥奪すべきである。
なお、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の問題点については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061009/1160366520で言及した。ただ、これは厖大な文献学的研究を要するものではなく、一般教養以上の西洋史の知識があれば、容易に気づくことができる類のものではある。また、『プロ倫』の宗教史的いい加減さについては既に金井新二氏の指摘があることを申し述べておく。
- 作者: マックスヴェーバー,大塚久雄
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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