Autobahn by The Balanescu Quartetとか

承前*1

雑誌MOJOの付録のMusic Is Love!というCDを聴いていると、The Balanescu Quartetがカヴァーするクラフトワークの「アウトバーン」が重厚な弦楽四重奏に仕上がっているのに驚いたり、Laibachがカヴァーする「悪魔への同情」を、ぴこぴこというシークェンサーの音が懐かしくて、何度もリプレイしたりして、とても楽しい。「奇妙な果実」を歌うスージー・スーを聴きながら、オリジナルの雰囲気を湛えているとともに、スージー・スーの声の質って意外とニコに近いんじゃないかとか、余計でいい加減な連想も喚起される。そういえば、アル・グリーンが歌うビートルズの”I Want to Hold Your Hand”はファンキーなR&Bに仕上がっているし、ミニー・リパートンはドアーズの「ハートに火を点けて」をソウル・バラードにしてしまっている。思えば、カヴァーというのは、一方では或る楽曲の可能性を開示するものであると同時に、カヴァーする側の〈個性〉なるものを必然的に(オリジナル曲以上に)開示してしまう。それは他人の曲という異物を前にして、何らかの態度を取ることを余儀なくされるからだろう。その曲に同化するのか、それともその曲を異化するのか。同時にその2つが進行するということもありうるのだが、どちらにしても、異物(他者)にぶつかって、それによって何かが表面化し、第三者はその表面化の仕方の中に〈その人らしいね〉という何かを見出す*2。ところで、そうすると、〈個性〉を愉しむというのは第三者の特権ということになる。勿論、誰でも反省とか想起という作用によって、自分に対して第三者になるということはできるわけだが。