観世栄夫死去

拙blogのeditのところを開けてみたら、「観世栄夫」を鍵言葉にしての拙blogへのアクセスが30以上あった。いったいこれは何? と思って、ニュースを検索したら、観世栄夫さんが逝去されたとのこと;


能楽師観世栄夫さん死去 演出家、俳優としても活躍

6月8日12時23分配信 毎日新聞
 観世流シテ方能楽師、演出家、俳優として多彩な活動をした観世栄夫(かんぜ・ひでお)さんが8日午前8時35分、大腸がんのため東京都内の病院で死去した。79歳だった。葬儀の日取りは未定。自宅は非公表。喪主は妻恵美子(えみこ)さん。
 観世流宗家の分家、七世観世銕之丞(てつのじょう)(雅雪)の次男。兄は寿夫、弟は八世銕之丞(静夫)。祖父の華雪や父に学び、6歳で初シテをつとめる。東京音楽学校本科に進学し、戦後に中退。俊英ぞろいの観世3兄弟の次男として期待を集めたが、飛躍を求めて異例ながら、観世流から喜多流に移った。同流の名手、後藤得三の芸養子となり、十四世喜多六平太、十五世喜多実に師事した。
 実験劇への出演やオペラ、ミュージカルの演出など他分野で活発に活動したことが反発を招き、58年に能楽協会を退会。以降は能舞台には立たず、青年芸術劇場や自由劇場の結成にかかわり、映画にも出演した。
 兄、寿夫の尽力もあって79年に観世流に復帰。能から小劇場まで幅広く活動する稀有(けう)な存在となった。木下順二作「子午線の祀り」には79年の初演から参加。平宗盛役などに出演し、演出も担当した。
 04年度には能「姨捨(おばすて)」の舞台成果により、第46回毎日芸術賞を受賞。代表作に能では「道成寺」「実盛」、映画に「砂の女」「利休」「午後の遺言状」などがある。
 今年5月2日、運転中の車で交通事故を起こし、同乗のマネジャーが死亡。自身も重傷を負った。妻の恵美子さんは作家の谷崎潤一郎の次女。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070608-00000039-mai-soci

記事にもあるように、先月に交通事故があり*1、その後の経過についてはわからなかったのだが。