失神への欲望?

『朝日』の記事なり;


失神ゲーム」で同級生にけがさせる、容疑で3人逮捕
2006年10月24日20時13分

 胸に強い衝撃を与えて気絶させる「失神ゲーム」で、埼玉県新座市の市立中学3年の男子生徒(14)にけがを負わせたとして、新座署は24日、同じ中学に通う同学年の男子生徒3人を傷害容疑で逮捕した。3人は「ゲーム感覚でやった」などと話しているという。

 調べでは、3人は12日午前11時45分ごろ、他の生徒ら数人と、男子生徒を校内のトイレに連れ込み、手を押さえて反抗できないようにし、1人が心臓近くの胸を手のひらで突いた。男子生徒は気を失い倒れたが、3人は目を覚まさせるために顔面を殴ったりけったりして胸や頭に軽いけがを負わせた疑い。

 男子生徒は数分後に目を覚まし、3人と他の生徒らは、意識が戻ったことを確認してから教室に戻ったという。

 生徒らが、授業開始直前にトイレから大勢出てきたことを不審に思った教師が様子を見に行くと、被害生徒が床に倒れ泣いていたという。この生徒は「3カ月くらい前から廊下ですれ違う時などに暴力を振るわれるようになった」と話しているという。

 失神ゲームは、胸などを強く圧迫し意識が薄れる感覚を楽しむとして、子どもたちの間で流行したことがある。02年に東京都内で小学生がけがをしたことが判明し、各地の教育委員会は当時注意を呼びかけていた。

 新座署によると、失神ゲームは、逮捕された3人のうちの1人が、これまでも校内で数回やったことがあるらしい。この日は仲間の1人が「ゲームを見たい」と言ったため、集まったという。

 この中学校の校長は「命にかかわる暴力行為があったことは、誠に残念で遺憾。厳正に対処して再発防止に全力で取り組みたい」と話した。
http://www.asahi.com/national/update/1024/TKY200610240349.html

失神ゲーム」というのが「子どもたちの間で流行したことがある」ということを知らなかった。いつ頃なのだろうか。記事から推測すると、それが2002年頃から学校側などの弾圧の対象となり、アングラ化し、〈苛め〉の手段と化したということか。
私としては、「失神ゲーム」が流行したことの意味の方が今回の事件なんかより、ずっと興味深い。失神といえば、私よりも上の世代にとってはオックスだろうけれど、私が子どもだったころ、「意識が薄れる感覚を楽しむ」という失神の快楽への欲望というのは考えられなかった。後に、柔道をやっている人から、絞め技をかけられて失神するのがけっこう気持ちがいいとか、絞められてそのまま失禁した奴がいるとかということは聞いたことがある。或いは、失神への欲望にぴんとこないというのには、私がヘテロセクシュアルな男性であるというジェンダー的な背景があるのかも知れない。つまり、セックスをしても、相手を失神させることはあっても、自ら失神することはない。
小学生の間に、失神への欲望が(流行というのだから)集合的に芽生えてしまったということはどういう意味を有するのか、わからない。ただ、それは超越性と関わっていそうだという気はする。また、「失神ゲーム」が流行した当時の小学生というのは、既に今回の事件の犯人のように中学生だったり、さらには高校生だったりするわけだ。この人たちは、既に失神の快楽を覚えてしまっている。このことは、この人たちの現在或いは未来の欲望の在り方やライフ・スタイルにどのように影響するのか。また、失神の快楽を覚えてしまった人たちが構成する文化はどのようになるのか。興味は尽きないのである。