先ず『朝日』の記事;
『西日本新聞』の記事;
社会学者の鶴見和子さん死去
2006年08月01日18時22分柳田国男や南方熊楠の研究で知られ、地域に根差した発展を目指す「内発的発展論」を唱えた社会学者で上智大名誉教授の鶴見和子(つるみ・かずこ)さんが死去した。88歳だった。自宅は京都府宇治市白川鍋倉山14の1京都ゆうゆうの里7711。
津田英学塾(現津田塾大)卒業後、米国に留学して哲学を学び、戦争中、日米交換船で帰国した。46年5月に弟で哲学者の俊輔氏、政治学者の故丸山真男氏らと雑誌「思想の科学」を創刊した。女性労働者の意識を調査し、生活記録運動にも積極的に参加。66年に米プリンストン大から社会学博士号を取得、「社会変動と個人」(英文)などの著作は、国際的評価も高かった。
カナダのブリティッシュコロンビア大助教授、上智大教授などを歴任。後年は柳田民俗学を継承する独自の立場を取り、水俣や中国などの調査を続けた。
ふだんから着物を愛用し、歌人としても知られた。95年末に脳出血で倒れて左半身不随になったが、闘病のかたわら、50年に及ぶ研究生活を振り返った「女書生」を出版した。95年に南方熊楠賞。00年にアカデミズムの枠を超えた業績に対して朝日賞が贈られた。
主な著書に「南方熊楠」「内発的発展論」「殺されたもののゆくえ」など。97年からは著作をまとめた「鶴見和子曼荼羅(まんだら)」や対談集「鶴見和子・対話まんだら」を刊行した。父は元厚相・作家の鶴見祐輔、祖父は元内務大臣、東京市長の後藤新平。
http://www.asahi.com/obituaries/update/0801/008.html
『毎日』の記事;
実弟の哲学者俊輔氏ら参列 鶴見和子さんの葬儀7月31日に亡くなった社会学者で上智大名誉教授の鶴見和子さん(88)の葬儀・告別式が2日午後、京都府宇治市内の有料老人ホーム「京都ゆうゆうの里」で営まれた。
故人の遺志で近親者のみで行われた式には、数十人が参列。喪主は実弟で哲学者の鶴見俊輔氏が務めた。会場となった集会室では、和子さんのありし日をしのび涙ぐむ女性の姿もあった。
和子さんは1995年、脳出血で倒れて半身不随となり、リハビリも兼ねて「京都ゆうゆうの里」に居を移していた。
2006年08月02日16時58分
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/20060802/20060802_051.shtml
鶴見さんの本で最初に読んだのは、たしか講談社現代新書で出ていた『好奇心と日本人』という奴*1。南方熊楠を知ったのは、たしかNHKの教育TVに鶴見さんが出演して熊楠を語っているのを視たのがきっかけだったか。
南方熊楠顕彰館:鶴見和子さんの追悼コーナー設置−−田辺 /和歌山世界的な博物学者、南方熊楠(1867〜1941)の研究者で、先月31日に88歳で亡くなった社会学者、鶴見和子さんをしのぶ追悼コーナーが、田辺市中屋敷町の南方熊楠顕彰館に設けられた=写真。
1階学習室前のコーナーに、95年に第5回南方熊楠賞を贈られた当時の鶴見さんの写真、プロフィルと南方熊楠顕彰会などの追悼文のパネルを掲げた。同賞は、熊楠の偉業をたたえ、没後50年の90年に制定。人文、自然科学の2部門から毎年交互に、優れた業績を積んだ研究者に贈られる。
鶴見さんは、熊楠の研究姿勢が地球規模に基づくものであることに着目。「地球志向の比較学」と題した論文を発表するなど、熊楠研究で新分野を切り開いた。
コーナーには入館者が時折たたずみ、追悼文を読んだり、鶴見さんの著作を手にとっている。13日ごろまで設置予定。【吉野茂毅】
2006年08月04日18時25分
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2281186/detail