男女混合名簿

 なんばさん曰く、


google:"心理的性同一性障害"で検索しても林氏のサイトしかヒットしないし、一体どこで使われている用語なのかさっぱりですが、まあそういうものがあるとして、それで、男女混合名簿を使うとそれになるって証拠何かあるの?

海外では男女混合名簿が使われている地域もあるはずですが、それで性同一性がゆらいだりした例があるんでしょうか。混合名簿を使わない地域との間に有意差がみられるという疫学研究があるんですか? まあ、常識的に考えてあり得ないと思うけど。
(「ていうか男女混合名簿で「心理的性同一性障害」になるの?」
http://d.hatena.ne.jp/rna/20060118/p1

男女別名簿というのは、印度と日本だけらしい*1。日本でも、大学や企業や学会は「男女混合名簿」の筈なり。

 なんばさんが言及するmacskaさんのテクストは、


  「生物学基盤論を唱えながらジェンダーフリー教育の弊害を叫ぶ矛盾」
   http://macska.org/article/93
  「思いつきでしかない「ジェンフリ教育の弊害」/林道義氏への返答」
   http://macska.org/article/124


なり。また、林道義のテクストは、


  「 (2)「生物学的根拠説」に立ちながら「ジェンダーフリー教育の弊害」を言うのは「矛盾」か ( macska への反論 1)」
http://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/femi36-2.html


なり。
 ところで、macskaさん曰く、「林氏は、幼い子どもの性自認は(仮に白紙ではなかったとしても)あやふやなモノであり、周囲がきちんと男女の区別をつけなければ(すなわち、育て方次第では)性同一性障害になる(すなわち、性自認が男にも女にもなる)と言っているのだ。ええーっ、林さんって、マネー説の支持者だったわけですか!?」*2、また、


もし男らしさ・女らしさといった男女の社会的特徴が生まれつきほぼ決定されているならば、わざわざ区別を教えずとも(極端に反対方向の洗脳教育でも行わない限り)自然と学ぶはず。名簿が混合であろうがどうであろうが、その程度で生物学的に強く方向付けられた差異が無くなってしまったり、性自認が反対の性同一性障害になったりするわけがない。ジェンダーが生まれつきだという主張は、その前の育て方次第によっては性自認が逆になるという主張と明らかに矛盾している。育て方次第で性同一性障害になるのであれば、それは生物学的な「基礎」があやふやな物であるということになるはずではないか。
これはマルセル・グリオールが調査したドゴン族のコスモロジーに似ているかも知れない――「ドゴン族の間では男女とも両性具有として誕生すると考えられ、男子の包皮は女性を、女子の陰核は男性を象徴すると見なされる。したがって成年式における割礼はそれらを切除することによって完全な男性、女性へと転換するものにほかならない」(田辺繁治「割礼」、今村仁司編『現代思想を読む事典』、p.130)。

*1:ソースについては、また忘却。

*2:http://macska.org/article/93