テツオ?

茺田理央「JR常磐線の車内で赤ちゃん産まれる。広報課「過去に聞いたことがない」」http://www.huffingtonpost.jp/2018/01/19/jr-jyoban-line_a_23337651/


曰く、


JR東日本東京支社が1月19日、ハフポスト日本版の取材に対して明らかにした。

東京支社によると、品川発土浦行きの特別快速(15両編成)が19日午後1時30分すぎ、JR柏駅に停車していたところ、ホーム上に設置されている非常停車ボタンが押された。「車内に急病人がいる」という情報があり、駅員が確認したところ、乗客の女性が車内で赤ちゃんを産んだ直後だった。

女性と赤ちゃんは、通報で駆けつけた救急車で病院に搬送された。母子の健康状態や、付添人がいたかなどは不明という。

この影響で、JR常磐線は約30分間の遅れがでた。

赤ん坊の性別もわからないのか。
さて、厩の近くで生まれたから、あの皇族は「厩戸王*1命名されたわけですよね? これは生まれた場所に「ちなんだ」命名法、換喩的な命名法といえるだろう(Cf. 川田順造『聲』、菅原和孝『ブッシュマンとして生きる』)*2。この常磐線の電車の中で生れた子は(もし男だったら)鉄道に因んで鉄夫と名付けられたのだろうか。女の子だったら? 「徹子」と書くテツコは黒柳徹子とかいるけれど、鉄子さんという女性が現実にいるのかどうかは知らない。電車で生れたから電子ということになるのだろうか。
声 (ちくま学芸文庫)

声 (ちくま学芸文庫)

ブッシュマンとして生きる―原野で考えることばと身体 (中公新書)

ブッシュマンとして生きる―原野で考えることばと身体 (中公新書)

茺田理央「上空1万メートルの飛行機内で赤ちゃん生まれる⇒航空会社「フライト一生無料でいいよ」」http://www.huffingtonpost.jp/2017/06/20/born-on-the-flight_n_17220116.html


こちらは昨年7月に空飛ぶ飛行機の中で生れた赤ん坊の話。JRからは誕生プレゼントはないのだろうか。

お岩さんに落語を

裏みちの花 (文春文庫)

裏みちの花 (文春文庫)

小沢昭一*1「近況ご報告」in 『裏みちの花』、pp.14-15


曰く、


林家彦六師匠に、以前、四谷のお岩稲荷でばったりお目にかかったことがあります。というより暗い社殿に入りこんで何かブツブツいっている師匠を発見したのです。やがて出てこられた師匠に「何かお願いごとでも……」とお尋ねしたところ、「いえ、お稲荷様に一席伺っていたのです」というお答え。つまり落語を奉納しておらられたのでした。(p.14)
四谷怪談*2というかお岩さんというと、やはり広坂さんということになるけど*3、その広坂さんでもご存じなかったりして。

パートナーの変容

承前*1

AbemaTIMES「「単なる不倫報道で終わらせてはいけない」小室哲哉の引退会見が社会に投げかけたもの」http://www.huffingtonpost.jp/2018/01/20/affair-news_a_23338968/


曰く、


「職業である歌手ということで、KEIKOという存在はやっぱり大きかったと思う。そこは幸いではなく、残念なことに音楽の部分が、脳のどこの部分かわからないけれども、(音楽への)興味がなくなってしまって。そのあとカラオケに誘ったり、音楽のネットを見せたり、CDを聴かせたり、一緒に聞いたり、僕なりにいざなうということを試みたが、残念ながら音楽に興味を持つことは日に日に減ってきて。今は小学4年生くらいの漢字ドリルが楽しかったりとかで、それをすごく楽しんでやってくれたり。全てがそういうレベルというわけでは全くないが、大人の女性に対してのコミュニケーション、会話のやりとりが日に日にできなくなってきて、電話や対峙して話すことも、だんだん1時間、10分、5分、3分...と間が持たなくなってきて。非常にかわいそうだなという気持ちもあるが、そこを諦めてはいけないのが精神的なサポートだというのは重々承知であったが、何度も繰り返しの質問であったりとか、そういうことでちょっと僕も疲れ始めてしまったところは、3年くらい前からあったと思います。反面、年々仕事が増えて、日々少しずつ音楽に向かいあわなくてはならない時間も増え、どうしても僕がずっとKEIKOのサポートをすることが不可能になってきたこともありました」。

介護と仕事に奔走する中で、自身も体調を崩し始めたという小室さん。「2年前にC型肝炎になってしまいまして、結局二人でいると二人とも病気がちというか、闘病みたいな形になってしまった」。それでも仕事をセーブせずに続けたが、去年の夏頃にはさらに突発性難聴に近い状態になったという。小室さんは会見の中で、現在も左耳がほぼ聞こえない状態であることを明かした。

小室さんによると、そんな中で精神的な支えになったのが、今回不倫疑惑が報じられた看護師のA子さんだった。A子さんとの関係について小室さんは「体調不良で来ていただいて、女性として来ていただいた事は一度も無い。男女の関係は全く考えていない。お恥ずかしい話ですが、この5年6年男性としての能力というのがなくて、精神的な支えが必要だった。誤解を生じさせてしまった」と説明した。


タレントの石井正則は「KEIKOさんが病気になられる前、お二人で食事をされているのを見たことがあった。静かで会話は多いわけではないが、長く関係ができあがっているような、とても仲のいいご夫婦という印象を受けた。あの小室さんにこういう姿があるんだと感じた。いつしか現実の自分と、あの"TK"との乖離が始まることもわかっていたと思う。それでもコンポーザーとしての才能を発揮し、スターであり続けなければならないという重圧、そしてKEIKOさんの介護。その両方を続けることができなくなったとおっしゃっていると感じた。今までglobeのファン、小室哲哉ファンのために、そういうことは表には出さずやってきたが、今回、抱えてきたその荷を降ろした、そういう表情をされていたと思う」と話す。

その上で、「僕は離婚を経験しているが、仲の良い女性の知人に話を聞いてもらっていた時期もあった。男女関係はもちろんない。でもスターの小室さんは、そういう相談も隠れてやらなければいけなかった。今回の会見について、僕はそういう見方をしてもいいと思う」と指摘した。

さて、丸谷才一の『持ち重りする薔薇の花』*2には、梶井のかなり年下の後妻(「アヤメ」)が50代のうちに「認知症」に罹ってしまうというエピソードが挟まれている。

そのアルツハイマー症が次第に進んだので、老人ホームに入れることにした。夫が、横になってゐる妻に向かっつて、いろいろ努力してみたけれど現実的にはどうしてもかうするしかない、薄情みらいだが勘弁してくれと詫びると、妻は、よくわかつた、そんな優しい言ひ方はかへつてわたしをいぢめることになる、と答へた。このころの口のききやうは、陰気で寂しそうだが充分に論理的で知的だった。梶井は週に二日か三日そこを訪ねることにした。アヤメの体の調子は悪くなく、車椅子を押してもらはず一人で歩けるし、食事も介助を必要としない。これはその後も変わらない。はじめのちはヘルパーや梶井にドリトル先生ケストナーを読んでもらつてゐたが、やがてDVDやCDで音楽を聴くのも稀になり、テレビを見るだけになつた。口をきくことはほとんどない。六十代のアヤメがテレビのニュースや競馬やゴルフ、歌舞伎や能や料理番組を、まつたく無表情で見てゐる様子を目にするのは、以前のいきいきした態度と比較することになつて辛かつた。(pp.144-145)
持ち重りする薔薇の花 (新潮文庫)

持ち重りする薔薇の花 (新潮文庫)

Tsurumi on Nishibe

承前*1

鶴見俊輔『期待と回想 語り下ろし伝』*2から。


(前略)鶴見さんにとっての知識人はデューイやラッセルで、日本の知識人を知識人と思っていないと思う。知識人じゃなく、じつは大衆なんだと。西部邁の知識人批判がまさにそれなんですね。知識人といわれている人たちこそが大衆の典型なんだと。(p.233)
という質問に対して;

西部邁(社会経済学者)は正直なんだ。人間が真正直だから、私はかれに対して人間的な好感をもってる。六〇年安保のとき、どういうことをやったか、自分の詐術についてきちんという。作為をもって出世しようと思ってる人たちとはちょっとちがう。
しかし現状判断が西部邁と同じになっちゃうのは困る。結論としてちがってくるんだ。西部はチェスタートン(イギリスの作家)を高く評価する。でも私が見るかぎり、西部はチェスタートンをわかっていないね。チェスタートンには悪人性がある。ひねりがある。チェスタートンはロビンフッドのような「森の精神」をグッと出してきて、「メリーイングランドの時代は単純な搾取の時代じゃない。こういう遺産をイギリスは持っている」という。西部にはそういうひねりがない。
西部はたいへんな秀才で、学生運動をしたにもかかわらず東大助教授になっていくんだけど、池辺三山(ジャーナリスト)とか石橋湛山とか長谷川伸(作家)とか、、明治・大正・昭和の、学歴から疎外されたところで自分をつくっていった知識人の系譜に心を傾けたことがないんじゃないかな。長谷川伸は日本に捕虜虐待があるときに『日本捕虜志』(中公文庫)を出した。石橋湛山はシベリア出兵(一九一八年)を終わりまで徹底的に非難した。青島出兵に反対して「小日本」を唱えた*3。この点ではチェスタートンに似ている。そういうものに対する感度がないというのが西部とかれらとの基本的なちがいだと思う。(pp.233-234)
期待と回想 語りおろし伝 (朝日文庫 つ 12-1)

期待と回想 語りおろし伝 (朝日文庫 つ 12-1)

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180122/1516588969

*2:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20171214/1513220987

*3:これらに関する石橋湛山の論説は、岩波文庫の『石橋湛山評論集』(松尾尊兌編)に収録されている。

石橋湛山評論集 (岩波文庫 青 168-1)

石橋湛山評論集 (岩波文庫 青 168-1)

Modernity of sexuality(Memo)

Sexuality: A Very Shor Introduction (Very Short Introductions)

Sexuality: A Very Shor Introduction (Very Short Introductions)

Veronique Mottier Sexuality: A Very Short Introductionから。


(…) Modernity is a world populated by people who define themselves as gay, lesbian, strakight, bisexual, bi-curious, exhibitionists, submissives, dominatrixes, swingers(people who engage in partner exchange), switchers(people who change from being gay to being straight or vice versa), traders(gay men who have sex with straight men), born-again-virgins(people who have, technically, lost their virginity but pledge sex until marriage), acrotomophiliacs(people who are sexually attracted to amputees), fuverts(or furries – people who dress up in animal suits and derive sexual excitement from doing so), or feeders(people who orverfeed their, generally obese partners). The important point here is that we draw on these categories in order to make sense of who we are: we define ourselves part through our sexuality. (…) (p.1)
近代とはセクシュアリティによって自己定義(或いは他者定義)が行われる時代。人格としてのセクシュアリティアイデンティティとしてのセクシュアリティ
月並みかも知れないけれど、ここで、ミッシェル・フーコーの『知の意志 性の歴史I』*1をマークしておく。
知への意志 (性の歴史)

知への意志 (性の歴史)

デスクも同じ

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180120/1516408940に対して、


Francis_Deacon 2018/01/23 02:57

私がイメージするのは、
昭和の時代に制作された、岸田今日子の『ムーミン』ですね。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180120/1516408940#c1516643864

新聞記事のタイトルを決めるのは本文を執筆した記者ではなく、その上司たるデスクでしょうか。だったら、「ねえムーミン、どこ出身? センター試験出題に反響」という記事ですけど*1、このタイトルは著者の片山健志記者ではなく、デスクが考えたものということになりますか。どっちにせよ、このタイトルを考えた人も、Francis_Deaconさんと同様に、「ムーミン」ということで真っ先に「昭和の時代に制作された、岸田今日子の『ムーミン』」を想起しちゃっていますね。「ねえムーミン」というのは《昭和ムーミン*2の主題歌(井上ひさし作詞)の出だしですから。「こっち向いて」!