手風琴とか

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101015/1287072242に対して、


sauvage 戦争, 歴史 新宿、池袋には平成の直前まで居た。確かに無視されていたが親たちは「あれは偽装で、本当の傷痍軍人は年金貰ってる」と言ってたが本当の所どうなのか。その後ホームレスが尋常でない数になり埋もれて見えなくなった 2010/10/20
http://b.hatena.ne.jp/sauvage/20101020#bookmark-25725722
また、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101019/1287460367に対しては、

秋菊 2010/10/19 16:01
傷痍軍人の方々は、30数年前くらいまで新宿や渋谷駅で拝見した記憶があります。物悲しくアコーディオンを奏でてました。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101019/1287460367#c1287471692
というコメントをいただく。また、

frivolousman 傷痍軍人(近所のじじい)ならお祭りのときに募金箱前にアコーディオン弾いてたよ。80年代だけど。うちのど田舎でしかありえない風景/あのカオスな感じは同世代にも、下手すると年上にも伝わらんな。 2010/10/18
http://b.hatena.ne.jp/frivolousman/20101018#bookmark-25725722
というコメントもあった。
傷痍軍人」というと、どうしても「アコーディオン」ということになる*1。その人たちがアコーディオン演奏を覚えたのは何時なのか。軍隊に入る前? 軍隊で? それとも戦後? というか、現在はそれほどでもないかもしれないが、アコーディオンという楽器は社会に溢れていたのに*2アコーディオンが何時頃からどのような経路で日本社会に普及したのか、全然知らないのだった。ちなみに、救世軍が使っているのはアコーディオンの一種であるconcertinaという楽器*3。また、NHKの『のど自慢』の伴奏のアコーディオンシンセサイザーに取って代られたのは何時頃か。また、タンゴで使われるバンドネオン*4という楽器はアコーディオンとは別物ということでいいのですよね。バンドネオンのレコードで初めて買ったのはたしか、Dino SaluzziのOnce Upon A Time -Far Away In The South*5だった。
Once Upon a Time: Far Away in the South

Once Upon a Time: Far Away in the South

*1:ハーモニカを吹いていた人を見た記憶があるけれど。

*2:小学校の音楽室には必ず何台か常備されていた筈。但し社会的には目立たなくなったかも知れないが、音楽の世界での地位は高まり、クラシックの楽器としての地位を確立している筈。

*3:See http://concertinafaqjp.appspot.com/conc-his.html

*4:バンドネオンについては、http://www.inorg.chem.ethz.ch/tango/band/bandoneon.htmlを参照のこと。

*5:See http://www.ecmrecords.com/Catalogue/ECM/1300/1309.php?cat=&we_start=16&lvredir=712&we_search=%2Bdino+%2Bsaluzzi

Eileen Changを2冊など

某洋書屋でEileen Chang(張愛玲)の新刊2冊*1をやっと見つけたので、買ってしまう。The Fall of the PagodaThe Book of Change

Fall of the Pagoda

Fall of the Pagoda

Book of Change

Book of Change

木曜日は妻の誕生日だったので、復興中路の焼鳥屋「炭屋又兵衛」で食事。ところが、友人のS嬢と妻の会社の同僚のK氏もやってくる。K氏は誕生日が妻と同じ。また、K氏は若々しく、1950年代前半の生まれだと聞いて吃驚した。第一印象としては俺の年齢±2だと思っていたのだった。

「メカノ」

四本淑三「超マニアックなCD屋「メカノ」はなぜ潰れないのか」http://ascii.jp/elem/000/000/561/561848/


「東京の中野ブロードウェイの3F」のCDショップ「メカノ」*1店主、中野泰博氏へのインタヴュー。彼のバイオグラフィも興味深いし、またここで語られていることは〈小売業〉の可能性ということでまた示唆に富むものではある。
そういう本題とは別に、


―― いまボーカロイド関係、すごく勢いがあるんですけど、どうですか?

中野 メジャーメーカーから、アレが出ます、コレが出ますと、いろんなインフォメーションが来るんですが、流行りものの音楽を初音ミクでやりましたっていうだけだと、僕としてはつまんないなあ。だって初音ミクって楽器でしょ?

―― そうですね。

中野 なんで人間の歌を歌わせるかなと。人間じゃないんだから、メロディーが5オクターブぶっ飛ぶようなこともできるわけでしょう。ノンブレスで5分とか。その上で面白いもの、ポップで楽しい物を作って欲しいんですよ。それやらない限り存在理由がないじゃないですか。人間の歌なら人間に歌わせればいいんだから。

という部分に共感するとともに笑ってしまった。「初音ミク」については、以前

昨今何かと話題の「初音ミク」って奴、サンプリング・テクノロジーの一つの発展形ということでよろしいのでしょうか。巧く表現できないけれど、もしかしたら、サンプリング・テクノロジーの重要な可能性を封じ込めてしまっているのかもしれない。

それはさて措き、「打ち込み」系の音楽だけれど、それがhttp://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20071221#p1で述べられているようなものだとしたら、つまらねぇと思うし、さらに反動的とさえいえると思う。何故なら、それは既成の〈音楽〉をただ反復しているだけで、そのことによって〈音楽〉にさらなる権威を賦与してしまっているのではないかと思うからだ。或いは、既に〈外部〉が浸透してしまった〈音楽〉を、模倣することによって純化してしまっているといってもいいかも知れない。エリック・サティにしてもジョン・ケージにしても、20世紀の音楽の課題のひとつは19世紀に構築されてしまった音楽/非音楽という境界を脱構築することだった。このことに意識的でない「打ち込み」というのは、たんに〈音楽〉における経費節減、大量生産の手段にすぎないといえる。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080108/1199724408

と書いていたのだった。
あと、POSっていうのは商業全体のコンビニ化ということでいいのか。それから、四本淑三が「ただ、知らない、マイナーな音楽を敬遠する傾向は、若いリスナーにありますよね」と問うているのだけど、はたしてどうなのだろうか。

丸谷才一 on 伊東光晴

丸谷才一*1「論壇時評の怠慢」『図書』(岩波書店)740、pp.14-15、2010


丸谷才一先生が『世界』2010年8月号に掲載された伊東光晴*2の「心に確たる対抗軸を――菅内閣への期待と助言」という論攷を三大新聞の「論壇時評」が無視していることを怒っている。数か月前に消費税増税問題がネットを賑わせたときも*3管見の限り、伊東氏のこのテクストが話題になることはなかったと思う。
少し丸谷先生の文章を引用しておく;


(前略)伊東さんの論調全体を貫くものについて、あらかじめ説明して置くほうがいい。それは共和党レーガン大統領にはじまり民主党クリントン大統領に受けつがれた、アメリカの福祉削減政策への反対であり、保守党のサッチャー首相に端を発し労働党のブレア首相に引き継がれた、イギリスの、富裕層に優しく貧困層にきびしい不平等肯定への論難である。これは、いま日本で民主党政権が同じ道をゆかうとしてゐるのではないかといふ疑惑と重なり合ふ。(pp.14-15)

まづ所得税について累進課税の強化を説く。その際、これにより不利益をかうむるのは高所得者なのだから、大衆が減税を好むのは民度の低さを示すものにすぎないと言ひ添へるのは、論述の態度として丁寧だらう。伊東さんによれば、八〇年代の日本の累進度が適切である。一九八三年の日本では、最高税率七五%、最低一〇%、一九段階であった。アメリカでもレーガン以前は最高税率七〇%であつたが、次第に下がり、二段階制になつた。日本はレーガン、ブッシュの高所得者優遇を模倣して最高税率を四〇%にしたのだが、これは七〇%に引上げるべきだといふ。
ここで話は消費税に移る。所得税累進課税はたしかに必要だが、しかしアメリカやイギリスと違つて高額所得者が多くない日本では、累進課税による税額確保はすくなく、それによる再分配効果は大したことがない。ちなみに言ふ。アメリカでは、二〇〇五年所得上位一%の人が全所得の一七・三%を占め、上位一〇%の人が四九・三%を占める。イギリスでも事情はほぼ同じ。イギリス、アメリカ型の社会構造ではなく、西欧型の社会構造である日本では、所得の不平等を是正して福祉国家を目ざすべきだから、累進課税の強化と共に消費税の引上げは避けられない。その際、消費税は西欧諸国と同じやうに二〇%になるだらう。ただしすべての財に一率にかけるのではなく、食料品、医療、教育費は別扱ひにすべきだと、伊東さんは含みのある言ひ方で言ひ添へてゐる。(後略)(p.15)
また、これは大笑ひ;

「文藝春秋」八月号は「的中した予言50」といふ大特集をやつてゐるが、奇妙なことにかなりの数は予言ではない。芥川龍之介の「輿論は常に私刑であり、私刑は又常に娯楽である」は箴言だらう。北大路魯山人の「日本人はライスカレー、シチュー、ソースまでみな甘くしてしまつた」は史的考察であり、過去と現在について語つてゐる。従つて予言であるはずがない。例は二つにとどめるが、「週刊朝日」が往年の魅力と風格を失つた今日、唯一の国民雑誌ともいふべき「文藝春秋」の編集部がこれほど低い日本語能力しか持たないのは、首相が漢字を読めないことと並ぶほどの事件だらう。時評子はこの事態を憂慮すべきであつた。(ibid.)