「メカノ」

四本淑三「超マニアックなCD屋「メカノ」はなぜ潰れないのか」http://ascii.jp/elem/000/000/561/561848/


「東京の中野ブロードウェイの3F」のCDショップ「メカノ」*1店主、中野泰博氏へのインタヴュー。彼のバイオグラフィも興味深いし、またここで語られていることは〈小売業〉の可能性ということでまた示唆に富むものではある。
そういう本題とは別に、


―― いまボーカロイド関係、すごく勢いがあるんですけど、どうですか?

中野 メジャーメーカーから、アレが出ます、コレが出ますと、いろんなインフォメーションが来るんですが、流行りものの音楽を初音ミクでやりましたっていうだけだと、僕としてはつまんないなあ。だって初音ミクって楽器でしょ?

―― そうですね。

中野 なんで人間の歌を歌わせるかなと。人間じゃないんだから、メロディーが5オクターブぶっ飛ぶようなこともできるわけでしょう。ノンブレスで5分とか。その上で面白いもの、ポップで楽しい物を作って欲しいんですよ。それやらない限り存在理由がないじゃないですか。人間の歌なら人間に歌わせればいいんだから。

という部分に共感するとともに笑ってしまった。「初音ミク」については、以前

昨今何かと話題の「初音ミク」って奴、サンプリング・テクノロジーの一つの発展形ということでよろしいのでしょうか。巧く表現できないけれど、もしかしたら、サンプリング・テクノロジーの重要な可能性を封じ込めてしまっているのかもしれない。

それはさて措き、「打ち込み」系の音楽だけれど、それがhttp://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20071221#p1で述べられているようなものだとしたら、つまらねぇと思うし、さらに反動的とさえいえると思う。何故なら、それは既成の〈音楽〉をただ反復しているだけで、そのことによって〈音楽〉にさらなる権威を賦与してしまっているのではないかと思うからだ。或いは、既に〈外部〉が浸透してしまった〈音楽〉を、模倣することによって純化してしまっているといってもいいかも知れない。エリック・サティにしてもジョン・ケージにしても、20世紀の音楽の課題のひとつは19世紀に構築されてしまった音楽/非音楽という境界を脱構築することだった。このことに意識的でない「打ち込み」というのは、たんに〈音楽〉における経費節減、大量生産の手段にすぎないといえる。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080108/1199724408

と書いていたのだった。
あと、POSっていうのは商業全体のコンビニ化ということでいいのか。それから、四本淑三が「ただ、知らない、マイナーな音楽を敬遠する傾向は、若いリスナーにありますよね」と問うているのだけど、はたしてどうなのだろうか。