Mixi=ゲーティッド・コミュニティ?

mixiが招待制廃止へ 来春から登録制、年齢制限も緩和」http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0811/27/news070.html


だそうだ。ところで、「mixiゲーテッド・コミュニティ」という説*1。以前にも書いたように、〈ゲーティッド・コミュニティ〉的なものそれ自体に反対であるわけではない。そもそも都市というのは〈ゲーティッド・コミュニティ〉であったわけだし。落語でお馴染みの長屋の空間も*2。まあ、一応門は閉めるけど、戸締まりは意外といい加減というのがいちばんお気楽でいいのではないかと思う。いちばん恐ろしいのは、〈ゲート〉が撤去されて一見オープンになったようだけど、実は社会全体が大きな〈ゲーティッド・コミュニティ〉になっちゃうという状況。これは息苦しいぞ。
そういえば、笠原健治ってルックスが橋下徹に似ていると思った。

「レイシスト」未満?

http://www.m-kiuchi.com/2008/11/11/bakawashinanakyanaoranai/(Via http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20081119/1227094383


噂の城内実の「レイシスト」エントリーをようやく読む。現在のレイシズムというのは、例えば文化相対主義多文化主義も取り込むなど、かなり理論的には洗練されたものになっているので、これを「レイシスト」というと、レイシストに失礼かもしれない。こいつと俺たちを一括りにするなんて、お前「レイシスト」だぞと言われてしまうかも。まあ、たんなる中年熱湯浴なので、まともに議論などしようとはせずにせいぜい教育的指導にとどめるべきなのだろう。
ひとつ言うと、というか既にhttp://blog.livedoor.jp/baisemoi_bullet/archives/65117301.htmlによる批判で言い尽くされているのだが*1児童虐待についての前提が間違っている。実の親でもそうでなくとも、虐待が罪であることには変わりはない。「日本国籍を持っている婚姻した夫婦の血統上の親子関係が認められる子供には「虐待しようが売春や労働を強いて搾取しようが勝手」だと認めていると言える訳です」ということ? そうすると、かつて舛添要一のDVに耐えかねて離婚した片山さつきを城内に対する〈刺客〉として送り込んだ小泉純一郎のセンスって凄いと思う。
「国籍」については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081108/1226125303も参照のこと。

新田義弘 on Levinas(メモ)

哲学の歴史 (講談社現代新書)

哲学の歴史 (講談社現代新書)

ほかの本を取り出そうとして、本棚から新田義弘先生の『哲学の歴史』を一緒に取り出して、ついつい頁を捲ってしまう。
そこから、レヴィナスに対する批判的コメントをメモ;


(前略)しかしそれにしても他者の根源的な与えられ方は、非対称的であるというレヴィナスの指摘は傾聴にあたいする。他者の他者性というものは、たしかに〈われわれ〉性とはそのまま同一のことではない。むしろ他者性とは〈われわれ〉性を成立させている契機なのである。ただレヴィナスのように、他者を絶対的な外部にみることが適切かどうか、むしろ他者の他者性は、内部と外部をわかつ原理のなかに走る亀裂そのものといえはしないであろうか。わかりやすくいえば、すでに世界が世界として開かれることそのことが他者の他者性によって可能となるのであり、他者はけっして外部でも内部でもないのである。構造的同一性そのもののなかに巣食っている亀裂が他者の他者性になるのではなかろうか。(p.170)

「心に残る」?

「心に残る映画ランキング、『ALWAYS 三丁目の夕日』が邦画部門で1位に」http://contents.oricon.co.jp/news/ranking/60643/full#rk


1位が『ALWAYS 三丁目の夕日』で、2位が『踊る大捜査線THE MOVIE』で、3位が『世界の中心で、愛をさけぶ』らしい。宣伝が「心に残る」というわけでもなく、ここ数年間という限定が付いているわけでもない。それにしても、10位までで1980年代の映画は5位の『となりのトトロ』(1988)と10位の『南極物語』(1983)だけで、それよりも古いものはない。それにしても、角川映画の諸々を差し置いて、何故『南極物語』なんだ? 
以前、どこかでベスト映画を選ぶという企画があって、そのとき上位に昔の白黒スタンダードの作品ばかり集中してしまって、これってどういうことよということになったことがあったようだが、ここで起きているのはその逆である。

レヴィ=ストロースについて追加

承前*1

〈アマゾンの秘法〉について信じてしまった人はまさかいないだろう。
さて、『東方早報』の11月28日付には、石剣峰「列維−斯特労斯 今天100歳」という見開き2頁の記事が出ていた。また、高宣揚*2「印象:越接近自然文化越真実」というコラムも。その中で、高氏はレヴィ=ストロースと1978年に知り合い、その後1990年代に入って台湾に帰国して、レヴィ=ストロースを台湾での講演に招いたが、体調不良のためキャンセルされたこと、高氏が台北故宮博物院所蔵の「清明上河図」のレプリカを贈ったら喜んでいたこと、最後に会ったのは1998年のことであることを記している。
レヴィ=ストロース会見記を含む本としては、吉田禎吾、浜本満板橋作美レヴィ・ストロース』(清水書院)があったか。

レヴィ・ストロース (Century Books―人と思想)

レヴィ・ストロース (Century Books―人と思想)

また、人類学者になる以前の、少年時代、社会主義活動家時代のレヴィ=ストロースについては、桜井哲夫『「戦間期」の思想家たち』第2章「レヴィ=ストロースと「建設的革命」」。