レスラーは裸だ

吉田典史「プロレスはショービジネスです」https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181024-00010000-wedge-ent&pos=3
吉田典史「プロレスは、ショー以外の何物でもない」https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181025-00010001-wedge-ent&pos=1
吉田典史「猪木さんに出会えたことが、人生の最大の幸運」https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181026-00010000-wedge-ent&pos=3


新日本プロレス審判部長のミスター高橋(高橋輝男)氏へのインタヴュー。


1941年、横浜市生まれ。スポーツ歴は柔道やパワーリフティングなど。1972年、新日本プロレスに入団。25年にわたり、レフェリーとして2万試合以上裁く。語学力を生かし、外国人選手の担当としても活躍。一時期は、審判部長やマッチメイカーなどを務める。1998年に引退し、新日本プロレスを退団。その後、警備会社の教育部に勤務後、高校で「基礎体力講座」の講師を務める。現在、高齢者の介護予防運動指導や執筆・講演活動などを行う。NPO日本チューブ体操連盟貯筋倶楽部理事長。

 著書に『流血の魔術 最強の演技』 (講談社)、『悪役レスラーのやさしい素顔』(双葉社)、『知らなきゃよかった プロレス界の残念な伝説』(宝島)など多数。ウェブサイト「GoGetterz」の「ミスター高橋が教える、高齢にもやさしいノンロック筋トレ法」で、中高年向け筋トレ法を教える。
(「プロレスはショービジネスです」)


高橋さんは引退後の2001年、『流血の魔術 最強の演技―すべてのプロレスはショーである』 (講談社) を書き著したことでいちやく話題になった。プロレスは、試合をする前に勝ち負けや試合展開が決まっていること、さらには流血試合の真相まで詳細に書かれた内容だ。当時、「プロレスの裏を暴露した」という批判もあれば、「プロレスを新たな見方で観戦できるようになった」という肯定的なとらえ方もあった。
(「プロレスはショービジネスです」)
プロレスが大まかな筋書きに則った一種のパフォーミング・アートであることは常識であり、さらにそのことを殊更に事挙げしないというのも常識だと思っていた。王様は裸だという事実を事挙げした子どもがその後、大人たちにしばかれて、空気を読むことを覚えたように。だから、以下で語られている〈絡み〉には、何よりも絡んでいる者の不作法さや幼児性を感じてしまうのだ;

Q 『流血の魔術 最強の演技』(講談社)が発売されてから17年が経とうとしているのに、今なお、日本人の現役の選手は試合の裏側のことを公の場では詳しくは言わないようです。たとえば、ある選手がTwitterをしています。ファンと思える人が、「プロレスって、試合をする前から、勝ち負けが決まっているんですよね?」「ショーですよね?」とからんでいました。それに対し、選手は「俺たちは、こんなに厳しいトレーニングをしているんだ」と答えていたのです。事前に勝ち負けが決まっていることには、答えていませんでした。


高橋:その選手の思いは、私なりにわかるつもりです。そんな質問をさせるような日本のプロレス界に誤りがあるのです。「プロレスはショービジネス」ときちんとカミングアウトしないから、選手が苦しむのです。

さらにいえば、私は現役の選手がTwitterなどをしていることにも疑問を感じます。選手のほうから、ファンのそばへ寄っていくことはするべきではないのです。近寄るから、そんな質問を受けるのでしょう。それは、ファンサービスとは違います。プロレスラーは特殊な職業柄、謎が多いほど、ファンをよりひきつけますよ。私が子どもの頃は、プロレスラーというのは遠い存在でした。怖くて、近寄りがたいのです。

プロレス小僧だった頃、東京体育館での試合で力道山が試合を終え、花道を引き上げてくるときに、「命と引き換えでもいいや」と思い、ガードしている若手選手の間をすり抜け、力道山の汗びたびたの体を触ったんですよ。とにかく怖かった。だけど、殴られることはありませんでした。汗びたの手を洗ってしまうのが、もったいなくて、もったいなくて…。なめましたよ…(笑)。俺と同じで、しょっぱいやと思ってね…。
(「「猪木さんに出会えたことが、人生の最大の幸運」)

ところで、

最近、私は関係者から招待券をいただき、プロレスを何度か観戦をしていますが、私が現役であった頃と比べるとずいぶんと変わったように見えました。まず、お客さんのマナーがよくなっています。かつては、試合会場で「八百長…」「金返せ…」といった嫌な言葉を耳にしました。今は、そんなことを聞きません。お客さんが選手に声援を送り、乗せていくのが上手い。ヒールの選手が反則行為をすると、ブーイングをします。選手もそれを喜んでいます。選手と一体化して、皆で楽しんでいるのです。たぶん、試合会場を後にするときに満足感があると思うのです。

私が現役の頃は、お客さんからするとどうも納得がいかずに、モヤモヤしたものが残り、会場を後にしたことが少なくなかったように感じます。「真剣勝負」と言いながら、たとえば、見え透いた「両者リングアウト」のような結果になると、不満になるでしょう。今は、そのような時代ではありません。お客さんはプロレスがショービジネスであることをわかっているからこそ、このように観戦することができるのです。『流血の魔術 最強の演技』を出して、多くの人に読んでいただきましたが、あらためてよかったと思っています。

私が『流血の魔術 最強の演技』を書こうと思った1つのきっかけは、引退後に高校で「基礎体力講座」の講師をしていたときの経験です。当初、プロレスの話をすることを極力避けていました。それでもあるとき、生徒に「プロレスの試合は観るの?」と何気なく尋ねたところ、帰って来た言葉が、「あんな八百長は観ませんよ」でした。私は、返す言葉がなかったのです。「八百長」という言葉は長年、プロレスの世界にいた私が最も嫌うものでした。

生徒たちからは、その後も次々と質問を受けました。「なぜ、相手の選手をロープに投げると、その選手はわざわざ戻ってくるの?」「ボクシングでは殴り合いのときに顔をブロックする。プロレスでは、どうしてブロックしないの?」「相手の選手がトップロープに上がるときに、なぜ、やられるのがわかっていながら寝転がって見ているの?」…。いずれにも、私は答えることができなかったのです。

私は長年、プロレスの裏面を隠し通し、リングのど真ん中にいました。引退後に若者とじかに話し合うことで、それまでは試合を客観的にとらえることができていなかったのだと気がついたのです。今は多くの人がプロレスの仕組みを心得たうえで、試合を心から楽しんで観ているのですから、時代が変わったのだと実感しています。
(「プロレスは、ショー以外の何物でもない」)

1990年代はプロレスに代わって、「総合格闘技」がブレイクしてきた時期。プロレスを「八百長」と蔑む態度は「総合格闘技」のファンに多かったのではないか(今も多い?)。21世紀に入ってからのことだけど、「総合格闘技」のファンを含む何人かで会話していて、誰かが「総合格闘技」とプロレスを混同するような発言をしたら、そのファンの人が見る見るうちに不機嫌な表情になってしまい、その場に不穏な空気が漂ったということがあった。ガチンコ*1という相撲界の隠語が広く使われるようになったのもその頃じゃないか。或いは、昭和と平成、(実際にはセックスしていない)「ロマンポルノ」*2と(実際にセックスしている)AVとの差異とも関係あるかと思ったのだが、見当違いだろうか。
小学校3年か4年、新聞というものを読むようになった頃、新聞のスポーツ面にプロレスの結果が載っていないことに気づいたときは、それなりにショックだったよ。