Rape as a weapon of war(memo)

望月優大「「性器の傷跡を見ればどのグループの仕業かわかる」デニ・ムクウェゲ医師がコンゴの紛争資源と組織的性暴力について語ったこと」http://hirokimochizuki.hatenablog.com/entry/denis.mukwege


拙blogでは、「コンゴ」(コンゴ共和国コンゴ民主共和国)にはあまり言及したことがないのだった*1
先ず、コンゴ紛争を巡って。米川正子さんの説明に基づく;


DRCでは、96年の第一次紛争勃発以来、累計で600万人以上とも言われる第二次大戦以降、一つの地域で最大の犠牲者が発生している。しかし、隣国ルワンダのジェノサイド等に比して、そのことはあまりに知られていないし注目されていない(そもそもコンゴでの紛争はルワンダ紛争の余波でルワンダ軍がコンゴ東部に侵攻したことから発生した)。
国家は国民を保護する役割を負っていると考えるのが普通だが、DRCでは国家自身が加害者となっている現状がある。反政府勢力との境界線も曖昧で、資源の搾取を目的として協力関係を持つことも多い。これは近隣のルワンダウガンダでも見られる構造。
国際機関の働きにも問題がある。国連PKO文民や市民を保護するというよりも、戦争犯罪人を保護しながら軍事作戦を行っている。国際刑事裁判所ICC)は「small fish」ばかりを裁いており、国家元首を含む「大物」を意図的に起訴していないと考えられる。コンゴ東部での戦争犯罪についてはまだ一度も起訴がされておらず、こうした不処罰の背景には紛争鉱物の問題があると考えられる。
さらにつけ加えると、コンゴ紛争は宗教やイデオロギーの対立に基づくものではなく、純粋な経済的紛争、鉱物資源利権を巡る紛争である。鉱物資源の中でも特に重要なのはコンゴ民主共和国領内に全世界の埋蔵量の8割が集中しているとされるタンタル*2だろう。
さて、

コンゴ東部で大規模かつ組織的に行われ続けている集団レイプは個人個人の性的な欲求に基づくものではない。それは、紛争資源を産出する鉱山近くのコミュニティを恐怖によって支配し、鉱山を独占的に支配するためにある種合理的に選択された手段である。
レイプはシステマティックに行われる。一晩のうちに、ある村の200-300人の女性が全員犯される。生後6か月の幼児から80代の老婆まで、無差別に、全員が性的暴力の標的になる。こうした性的暴力は、夫や子どもの眼前で行われる。コミュニティ全体をトラウマ化し、恐怖によって支配するためだ。こうした迅速かつ大規模なレイプは計画的にしか成しえない。それは、性的テロリズムである。
性的暴行を行う際、それぞれの武装勢力は異なる形で、「一生残る特定の傷跡」を残す。例えば、あるグループは木の棒や銃を用いて膣に穴を開ける。したがって被害者、サバイバーの性器に残った傷跡を見ればどのグループによる犯行であるかをムクウェゲ医師は把握することができる。このようにあるグループ内で共有された行いの存在は、そのことを可能にする集団的な研修のようなことが行われていることを想像させる。そして、刹那的な性的欲求とは全く異なる計画性、目的意識の存在を感じさせる。
こうして恐怖によって支配された鉱山近くの村では、そのコミュニティ自体から逃亡する者も多い。残った者は、鉱山で奴隷のような条件で労働させられる。
昨年のことだが、北朝鮮金正恩による玄永哲殺しを巡って、

(前略)何故玄永哲が殺されたのか、居眠りが死刑に値する罪なのかということを問うことは恐らく無意味だろう。意味があるのは、金正恩が玄永哲を殺したいと(どういうわけか)思ったということだけだ。理由なんか、何時でも捏造可能なことだ。玄永哲だけでなく、高官が次々と粛清されていることを以て、そこに北朝鮮の危機とか不安定性を読み込むこともあまり意味があるとは思えない。かつてスターリンによる粛清が最も凶暴化したのはトロツキーブハーリンも打倒されて、すなわちスターリンに張り合えるのは誰もいなくなった後だったということを思い出すべきだろう。危機だの反革命的陰謀だのが何時でも・幾らでもでっち上げ可能であるのだ。寧ろ、歴史上のその他の全体主義運動/.体制と同様に、金正恩も危機なり不安定性なりをその目的達成のための手段として活用していると考えるべきだろう。恣意的にもみえる高官殺しは信者ども、特に朝鮮労働党の幹部連にどのような効果をもたらすのか。それは、(社会心理学で謂うところの)locus of control喪失の感覚、世の中の事柄を自分が合理的にコントロールするのは不可能だという感覚ではないのか。自らが状況をコントロールできなければどうなるのかといえば、金正恩体制へのさらなる隷属だろう。しかし、これも北朝鮮特有のことではない。規模は小ぶりであるものの、このような相手の状況をコントロールする能力の剥奪による支配というのは、児童虐待でもDVでも見られることだ。金正恩の犯罪には今更誰も驚かない。驚いてしまうのは、その犯行手段の笑ってしまう程の大袈裟ぶりだろう。今回も玄永哲ひとりを殺すのに高射砲を使ったという。そのルックスと同様にこの軍事的な合理性も無視した暴挙には笑ってしまうしかない。勿論、信者どもをびびらせるという政治的な合理性はあるのかも知れないが。
と書いたことがある*3全体主義体制(運動)の場合は、暴力と同時に、党員や人民を積極的・自発的に悪事に加担させるためにイデオロギーの注入が行われるわけけど、こちらの方はイデオロギーを排除した純粋な純粋に近い暴力といえるだろうか。というか、コンゴの「武装勢力」にとって、住民はただの奴隷労働力にすぎない。そういう意味では、加害者の側が如何にして〈レイプ機械〉になっていくのかということも問題であると思う。
コンゴ紛争とデニ・ムクウェゲ医師*4については、


米川正子、華井和代「コンゴ「武器としての性暴力」と闘う医師に学ぶこと」http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/10/post-5937_1.php http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/10/post-5937_2.php http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/10/post-5937_3.php
Preethi Nallu*5 “Rape is being used to terrorise the population, says DRC gynaecologist” https://www.theguardian.com/world/2015/may/22/rape-congo-doctor-denis-mukwege
“Denis Mukwege: The rape surgeon of DR Congo” http://www.bbc.com/news/magazine-21499068


をマークしておく。BBCの記事は本人による語り。