1980年に生まれて(メモ)

岡田育「昨日読んだ文庫」『毎日新聞』2014年7月13日


冒頭に曰く、


私は一九八〇年、東京の生まれ。幼い頃の遊び場は原宿キディランドに青山こどもの城、できたばかりの無印良品。風呂場で親に散髪されたおかっぱ頭も、本人は中森明菜山口小夜子のつもり。いずれはカタカナ職業を名乗り、美しく着飾って西麻布で飲み歩き、朝まで踊り明かすのだと夢見る、厄介な子供だった。
しかし十歳になる前に昭和が終わり、中学のうちにバブルが崩壊して、手を伸ばせば届きそうだったまばゆいものはすべて、私が大人になる前に忽然と消え失せた。十九歳で死ぬ計算だったのにノストラダムスの予言も大はずれ、以下余白のような人生がダラダラ続いて現在に至る。
岡田育という方は「編集者」で「文筆家」だそうだが、これまでその名前さえ知らなかった。
中森明菜山口小夜子*1が互換的な存在として語られているのに軽く驚いた。山口さんて、1980年代というよりも1970年代の人じゃないかとも思うので。ところで、こういう文章を読むと、既視感に襲われるというのも事実だ。《遅れてきた青年》言説と呼んでもいいのだろうけど、こういう文章というのはこれまで何時でも何処でも無数に生み出されてきたのではないか。俺だって、十歳になる前に安田講堂は陥落し、とか、中学になる前に連合赤軍浅間山荘で自滅し、とかといった文章は書けるわけだ。
〈80後〉のメンタリティということでは、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110204/1296794711http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110205/1296925490も参照のこと。