久々に「サバルタン」なんて言葉を使っちゃった*1。
ちょっと思いついたのだけど、これは誰でも思いつていることなのだろう。「サバルタン」研究といえばガヤトリ・スピヴァク*2。彼女はデリディエンヌだけど、「サバルタン」を考える場合は、デリダよりもフーコーに即してみた方がわかりやすいのではないか。例えば狂人。「癲狂絶不可能在史書中自己説話、是精神病医生替它説話、只有理智的文字和声音」(尚杰『帰隠之路:20世紀法国哲学的踪跡』*3第7章「福柯:独断與断裂」、p.108)。狂人の語りが顕わになるのは医療制度に捕捉されたときであるように、犯罪者の語りが顕わになるのは警察権力や司法制度に捕捉されたときである。それも制度によって枠付けられ、ときには制度的に代言される発話として。またカルロ・ギンズブルグの『チーズとうじ虫』。
- 作者: カルロギンズブルク,Carlo Ginzburg,杉山光信
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 1995/07
- メディア: 単行本
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という一節。
インターネットによって、はじめて自分の声を外に届かせることができた人たちというのはたしかにいるのですね。上杉隆みたいなジャーナリストは、そういう人たちの声を拾い上げて増幅してもっと広く届かせるという作業をしようと思えばできたはずなんですが、しませんでした。
http://d.hatena.ne.jp/nessko/20130911/p1
*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130910/1378829609
*2:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070809/1186627583 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080407/1207591421 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090304/1236131446
*3:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081012/1223783891
*4:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110831/1314720517 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130617/1371427964