松本礼二「知識人と政治」(in 五十嵐武士、古矢旬、松本礼二編『アメリカの社会と政治』、pp.243-264)から少しメモ。
さらに18世紀の建国(革命)直後まで遡り、当初Presidentは「大統領」ではなかったという話;
憲法上の制度に大きな変更がなく、思想的にもたえず「建国の理念」が引用されるという点では、アメリカは世界でもめずらしいほど歴史の継続性の高い国である。反面、政治社会の中身、いわばそのボディ・ポリティックとしては、今日のアメリカ合衆国は建国時とはまったく別の国と言ってよい。大西洋岸の13州、人口400万足らずの辺境国から、ハワイ、アラスカを含む50州、人口2億5000万の世界一の大国への規模の拡大はもとより、人種、宗教構成の面でも今日の多民族国家アメリカはクレヴクールが「新しい人種」と呼んだものからかけ離れている。世界史にも稀なこの急激な拡大・発展はルイジアナ買収から米西戦争まで、ほぼ19世紀を通じて起こったことであり、アメリカ固有のカルチュアや国民性と言われるものもこの時期に形成された部分が大きい。(pp.246-247)
憲法発効までの、国家連合としてのUSAにおいては、中央に各ステイトの代表よりなる連合会議(Congress)があり、そこで選ばれた議長(President)がおり、対外的にはアメリカを代表していた。ただし、任期1年、毎年違った人が選出され、あまり権威も権力もなく、行政首長というにはほど遠い存在であった。しかし、今やUSAが一つの国家となった以上、対外的にも国内的にも行政の最高責任者が存在しなければならない。しかし、その職は、いかにあるべきなのか。なにしろ、フランス革命の前のことであり、近代共和国の行政首長のモデルがない。第一、1人とすべきか、複数とすべきか。アメリカ内の南北の対立もあり、複数説もあったが、これは一人制にまとまった。任期はどうすべきか。終身制という意見もあったが、それでは国王と同じになるというので問題にならず、任期2年から7年まで諸説があったが、結局任期4年、再選を妨げずでまとまった。なお、1951年以降憲法修正第22条により、3選は禁止となっている。
一番問題になったのは、誰が行政首長を選ぶか、の問題であった。主権者は国民であり、したがって国民が選ぶのは当然であるが、国民が直接選ぶのか。直接選挙については、どんな人間が選ばれてしまうのか判らない、という不安が[憲法]起草者の間に強く、否定された。では、間接選挙にした場合、たとえば連邦議会が選ぶのか、あるいは各州の議会が選ぶのか。前者であると連邦議会の権力が強くなり、後者にすると各州政府の権力が強くなり、望ましくない。そこで、まず各州ごとに、大統領を選ぶための選挙人(electors)、いうなれば有識経験者を選び、その選挙人が大統領を選ぶという複雑な間接選挙制をとることにした。それならば、危険なデマゴーグなどが大統領に選出されることは、まずないであろう、と考えられたのである。しかし、この間接選挙制は、政党の発達により、今日では直接選挙制と変わりなくなったことは、周知のごとくである。
ところで、行政首長がプレジデント(大統領)という名称になったのは、なぜであろうか。名称については、憲法会議でもいろいろ案があったが、結局今まで存在してきた連合会議の議長がプレジデントと呼ばれていたのを、継承することになる。一つには、ほかによい案がなかったこと、二つには、内容的にはまったく別物であるが、プレジデントという名称が、今までの体制との継続性を連想させ、国民に不安感を与えないという配慮もあった。(後略)(斎藤眞「権力分立制の下の大統領職」同書、pp.6-8)
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