叱るのは難しい

息子が(大人から見て)好ましくないことをしているのを見ると、


NO GOOD!


と叫ぶ。しかし、彼は何だか嬉しそうに


no good no good no good...


と反復してしまう*1。つまり全然叱ったことになっていないのだ。
乳幼児に限らず言葉が通じがたい人に感情を伝えるのには言葉以外の手段を使わなければならない。例えば表情。怒っているぞ! 不愉快だぞ! という表情を見せること。だが、NO GOOD! という叫びもそういう表情と一緒に行っている筈なのだ。
さて高橋恵子「ほめること・ほめられること」(斎藤次郎高橋恵子、波多野誼余夫編『よろこぶ・悲しむ』、pp.249-268)では、日本文化は「感情の過度の表現を抑えることをもっぱらしてきた」と指摘されている(p.263)。さらに高橋さんは、


日本人の表情が外国人にはわかりにくいと指摘される点である。人という種として共通に顔の表情をつくる筋肉は同じに備わっているはずだが、凹凸の少ない骨格に加え、長く文化によって使わないようにされてきた部分の筋肉が日本人では衰えてきたのであろう。事実、欧米人のよくするウィンクや片方の眉だけつりあげるような表情は、わたくしたちにはむずかしい。(ibid.)
と述べている。
だが感情の伝達は、例えば幼児に危険を伝えたりするなど、人の生存に関わることだろう。顔の筋肉の運動を抑制している日本人はどうしているのだろうか。高橋さんによれば、それは「声」の「大きさ」や「抑揚」なのだという(pp.263-264)。幼児は親の「「危い!」という声の調子で危険を察知するのである」(p.264)。
ということで、怒ってるぞ! という声の抑揚を意識しなければならないということになる。

*1:日本語のダメ! とか中国語の不好! でも効果は同じ。