秦皇島の北京原人

Lee R. Berger, Wu Liu & Xiujie Wu “Investigation of a credible report by a US Marine on the location of the missing Peking Man fossils” South African Journal of Science, 108-3/4, 2012
http://www.sajs.co.za/index.php/SAJS/article/view/1122/1144


徐文堪「尋找北京人化石的新線索」(『上海書評』2012年4月15日、p.3)で知ったのだが、1941年に行方不明になった北京原人の化石は中国河北省の秦皇島の駐車場の地下に埋められている可能性が高い。Bergerは1947年当時米国海兵隊員として秦皇島に駐留していたRichard M. Bowenが北京原人の化石が入っていたらしい木箱を発見していたと信じていたという息子のPaul Bowenの証言を得ている。秦皇島にあった海兵隊のCamp Holcombで1947年に国共内戦に巻き込まれるかたちで海兵隊八路軍の武力衝突があり、塹壕を掘っているときに「骨」の詰まった木箱を掘り当てたという。その後、部隊は天津を経由して米本国に撤退した。著者たちの現地調査によれば、Bowenが木箱を見つけたと思われる場所は現在駐車場になっている。1947年に海兵隊八路軍の武力衝突があったということは知らなかった。そもそも北京原人の化石は秦皇島から米国の商船President Harrisonで紐育に運ばれる予定だったのだが、太平洋戦争が勃発し、日本の軍艦に遭遇して、秦皇島に辿り着くことができなかったのだった。
See also


Amy Bucci “Are the Lost Peking Man Fossils Buried Under a Parking Lot in China?” http://newswatch.nationalgeographic.com/2012/03/22/are-the-lost-peking-man-fossils-buried-under-a-parking-lot-in-china/
SHAUN SMILLIE “Fossil could be buried under car park” http://www.iol.co.za/scitech/science/discovery/fossil-could-be-buried-under-car-park-1.1262480


徐文堪氏の文章によれば、北京原人については1946年に考古学者の李済が東京に赴いて、その所在をGHQに照会しているが、東京では未発見であり、日本に持ち込まれたかどうかは「不祥」という回答を得ている。なお戦争中に東京帝国大学理学部人類学教授の長谷部言人*1と助手の高井冬二が北京原人の化石を捜索したものの、見つけることはできなかった。


Lee R. Berger*2の古人類学者としての最近の業績は2008年の(9歳の息子が最初に見つけたという)アウストラロピテクスと直立人の過渡的段階であるAustralopithecus sedibaの発見。